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あの頃の思い出

2022/07/22 8:39 閲覧数(315)
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もう、朝からジメジメと湿気たっぷり蒸し暑く…
梅雨に逆戻りしたかの天候に体調崩していませんか?
オマケにコロナの野郎の第七波とも言われる爆発的な感染の広がり。
本当に、明日は我が身と言い切れるかと感じます。
とにもかくにも!
感染しない・させない!
肝に銘じて日々を送って参りましょう。

さて、話題はガラッと変わりまして…
この三連休、オラが故郷『茨城県水戸市』に帰省して参りました。
ま、ありがたい事に音楽番組関係の仕事を兼ねての帰省となりまして、そこそこ収入を伴ってですから嬉しいったらないやね(笑)
実は、今回の帰省で俺自身、マサに『浦島太郎』状態でしたよ(苦笑)
前回の帰省が震災の時でしたから、実に11年振り。
しかも、その時は市内には出ずに実家に入り浸りの状況だったが故、あの頃を懐かしむ余裕など一切なく、事を済ませてすぐさま川口に戻る…
なんとも忙しく、何の楽しみもない帰省でありましたが、今回はその時のモヤモヤを晴らすべくあの頃を存分に堪能しようと街に繰り出したのだが…。
時の流れは非情と言いましょうか…
残酷とでも言いましょうか…
悲しくなったね。
時を遡れば、水戸のメインストリート(水戸駅~大工町)の通りは、人と車がごった返し、軒を連ねる地元商店には客が押し寄せ、まぁ活気があったもんですよ!
ところが今はどうでしょう。
車はおろか、人の姿も疎ら。
軒を連ねていた地元商店の多くが姿を消し、その跡地は数年に渡り更地のまま、若しくはせいぜい良くてコインパーキング。
行きつけだったレコード店や楽器屋も業務縮小に伴い音楽教室に鞍替えし、文化祭以外で初めて人前でLIVEをした『サントピア』の姿も消えて…
俺の青春の思い出がこのまま消えてしまうのだろうと思ったのだが、子供の頃の思い出の場所だけは未だ健在であった事に目頭が熱くなった。
その場所とは、泉町に位置する大衆食堂『いづみや』
家族で市内に買い物に行った帰りに必ずと言って良いくらいに立ち寄ったお店。
店構えから店内、メニュー構成まであの頃のまんま!
今でもはっきりと覚えている。
親父は毎回かつ丼若しくはカレーライス
母親は決まって五目そば
弟はラーメン
俺は飽きもせずオムライス
そして、還暦のカウントダウン真っ最中の今。
頼んだメニューは、勿論、オムライス!
今時よくある、ふわトロ系の気取ったヤツではなく、硬い卵で包んだ昔ながらのオムライス。
卵に包まれている中身のチキンライスもケチャップ味全開の懐かしい味わい。
これがまた旨いんだわ!
一気にあの頃にタイムスリップするかの様な感覚に襲われたね。
一通り食事を終え、あの頃を懐かしみながら店主と暫し会話を。
現在の水戸市の実情と、地方都市の今後の在り方と課題。
そして、この状況下の中で如何に行き抜き存続し、各地へ散って行った若者達を呼び戻し、後世に伝え残せるか…
始まりがあれば終わりが来るのは自然の摂理。
その中でも、伝えきれる生き様と言うの永遠だと思う。

公営競技に於いてもある種通ずるものがある。
かつて賑わいを見せた公営競技。
皆様の記憶の片隅に色濃く残っているであろう『花月園競輪』と『船橋オートレース』その最期の日の事を。
それは紛れもない事実であり、時代を感じた瞬間だったに違いない。
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