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田代選手の引退

2014/04/09 1:28 閲覧数(1139)
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何事も始まりがあれば終わりもあります。いつかはあると思っていましたが、それが現実になるとやはり淋しいものですね。

田代選手と私は年齢が同じです。さらに私の出身は群馬県なのでオートレースを初めて観たのも伊勢崎でした。

当時、彼はまだ2級車。しかし先を行くトライアンフを捲ってしまうスピードがありました。今の2級車と1級車とは比較にならないくらい排気量に違いがあった時代です。田代選手が如何に凄かったか理解できると思います。

速い人は2級車の時から速い、とよく言われますが、彼もその典型的な選手でした。

19期から養成を2級車で行いましたが、それまでは3級車と同じ排気量のバイクで養成し、3級車を3年、2級車を2年、単気筒もしくは国産の1級車を2年乗ってやっとトライアンフに乗れる時代でした。

トラに乗ってからの田代選手の活躍をここで書く必要はないでしょう。
「男・田代」と形容された通り、その走りは男気を感じるものでした。田代選手も観客も膨らむのはわかっていながらインに入ってゆく・・・。
当時は2連単と2連複ですから、田代選手を買う場合は必ず表裏で買わないといけない。(実は何度か失敗したことがあります)

1980年代後半から1990年代前半は、いわうる船橋・黒潮軍団や川口の四天王が席捲しており山陽の選手もけっこう強かった。伊勢崎は歴史が浅いこともあり全国的に名前が売れている選手は田代選手以外でも数人でした。

まさしくその中で彼は孤軍奮闘という言葉通りの活躍をしていました。
伊勢崎で12連勝を達成したのをライブで観ていたのを思い出します。
その頃が彼のピークで本当に強かった。

絶対王者の出現と片平選手を筆頭とする19期の台頭で、田代選手のピークの時代は割と短かったのですが、40歳や50歳を過ぎても前の車を抜こうとする意志を感じる走りはずっと健在でした。

若手たちのスピードにはもう対抗できないとはわかっていても、彼の走りを見ていると、最もオートレーサーらしいオートレーサーの一人だと思います。
その走りから怪我が多いイメージですが、もうその心配もなくなりましたね。ゆっくり休んでください。お疲れさまでした。

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