「(前略)人はゲートが開くまえに、幻想のレースを組み立てるでしょう。その幻想のレースが現実のレースと一致したら、実は最低であって、(中略)ところが現実はしばしば空想を裏切ることによって、その裏切られた部分をもういっぺん、組み立て直す楽しみを要求する。(後略)」は、『寺山修司 虫明亜呂無 競馬論 対談 この絶妙な勝負の美学』中の寺山の発言である。
第三日、初っ端の準決10レース。坂井洋-吉澤純平の番手捲りを前提に別線が走るから、幻想など付け入る隙間もない。六番手になった郡司浩平が先に仕掛け、そのあとに仕掛けた山口拳矢が得をするのを、実際家と評せばいいのか、幸運と括ればいいのかわからない。
11レース。「二次予選で、しかもあの展開で、脇本雄太につづけない東口善朋を、準決で買う気はしない」と別紙に書いた。そのとおりになったけど、幻想とはほど遠い瑣末な思いこみが一致したというだけのこと。
12レース。挑む気があるのかないのかしらないが、晝田宗一郎の上昇は、ぶっ叩くというより、あわよくば中団の態に見えた。関東四人の先制で五番手以下が併走なのだから、本線できまりとも思うが、外併走の晝田を軽くいなした根田空史はまだ生きていた。二周近く、眞杉匠-吉田拓矢-芦澤辰弘-高橋広大-根田-守澤太志で一本棒同然なのだから直線はああなる。眞杉の着外を生んだのは晝田の拙走、と書くのは酷であるか。
【取手記念競輪決勝】五人結束の関東を崩すためには、ピッチが上がる前に、どこぞと場所を決めてジカでやるしか手はない。マーク型に類する守澤太志にそんなプランのにおいを感じない。準決は脚を使いながら好位をとった松本貴治だけど、この番組で同じ手は通じない。二人が、とりあえず、脇本雄太-山口拳矢の後ろなら「五・対・四」ともなるけれども、そりゃないかァ。どちらにせよ、小林のブン回しで、坂井洋の番手捲り・対・脇本雄太のカマシ捲りの図だ。あっさり決着がついちゃった時(坂井が併せたにせよ、脇本の加速が優ったとしても)の車券は色気を欠く。両者雁行。譲らない。が、さすがに後半はタレる。双方の番手――吉田拓矢も山口も――こういう状況は得手のはず。狭いところを怖がらずコースを探す・思いっきりつっこむ。①②と②①を買います。題字の「幻想のレース」にはまるで及ばない。我ながらつまらん買い目である。
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