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鶴の遠征、その一

2020/04/17 11:58 閲覧数(716)
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 阿佐田哲也の小品『鶴の遠征』をふと無性に読みたくなるのはたいてい、やや気のふさぐ、雨の日の午後あたりだ。
「ああ 勝負師」所収、第二十二話の同作はこう始まる。
〈富沢有為男さんといえば、ご存じの方も多かろう。古い芥川賞作家で『地中海』『白い壁画』などの代表作がある。また、寺内大吉さんの師匠筋に当たり、小説の道ばかりでなく、競輪も教えこんだ人でもある。
 私も、その晩年の一時期にずいぶん可愛がってもらった。やはり競輪が縁だった。富沢さんを勝負師列伝の中に加えるのは筋ちがいのような気もするが、たまには故人を思いだしてしんみりとしたい。
 若い頃、フランスに絵描きになりに出かけて、競馬ばっかりやっちゃったという人物である。帰国してから戦後は、アソびといえば競輪一途だった。
 疎開先の福島で平競輪場に日参し、そのため弱かった身体が健康になったと笑っていた。実際、痩軀白髪の富沢さんは美しい老紳士で、競輪場の雑踏の中にいると、はきだめに鶴、という恰好である。
 そしてこの鶴が相当な鶴でどんなに混んだ穴場でも、スルリスルリと買ってくる。なにかゲンをかついでおられたのだろう、富沢さんは決して十枚とか二十枚とかキリのいい枚数は買わない。きまって、七枚とか十二枚とか半端な枚数になる。それを一レースで十種類ぐらいも買い漁る。
 丸橋忠弥ではないが、あちらで六枚、こちらで十一枚と、バラ券売場の雑踏の中を十か所も飛び歩いてくるのだから、身体も丈夫になるはずだ。〉(「ああ 勝負師」角川e文庫版No.1419~35)
 「1-3」とか「5-6」の札がかかった穴場を俺はぎりぎり経験している。締切のベルが鳴り響き、数字札がはずされても客の列はなかなかはけない。紙幣や硬貨を握りしめた手を売場の穴に突っこみ、交換された薄い紙の車券をまた大切に握る。汗臭く埃っぽい空気が澱む、京王閣競輪場バックスタンド側の、バラ券売場の風景を幽かに憶えている。
 顔に浮く汗と油の皮膜、服には煙草の匂い(時には他人が描いた赤鉛筆の線)、一日中居るとからだ全体が煤汚れに包まれたようになった昭和の競輪場がひどく懐かしい。(次項につづく)
 


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