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物語が競輪を信じさせるわけではない

2021/11/25 12:08 閲覧数(416)
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 先日の競輪王決定戦をおれが剛毅の競輪とは感じられなかったのは、ひとえにおのれの想像力の欠如に依拠するものだがやはり、「二対二対二対一対一対一」構成の大一番は、競輪特有のストーリィ性を寄せつけにくい、というのもあろうか。むろんおれの《不感症》をたなにあげてのものいいであるが――。
 ただ、吉田拓矢歓喜の優勝により、太い流れができたというか、グランプリ物語の章だては一気にすすんだ気がする。
 第一章、六月の高松宮記念杯はあっとおどろく宿口陽一の優勝、吉田拓矢-宿口の関東連携が功を奏したもので、吉田も二着にはいり初めて特別競輪の表彰台を経験した。――ああ、かつて書いたことがあった。特別競輪の二着三着は優勝への通過点、表彰台にのった選手の陣痛には気を向けねばならない、と。ふうむ……。
 第二章、十月の寛仁親王牌は平原康多の優勝で、なんとGⅠ制覇は四年ぶり、そんなにとっていなかったんだ。新山響平-新田祐大のうしろの菅田壱道が下手をうち、三四番手に吉田拓矢-平原がおさまった。新田の番手捲りは見え見えでも吉田は強引に仕かける。が、一車も出ない。と、その瞬間平原は内にはいり新田にスイッチ、そのまま一気に突き抜けた。吉田を買っているひとは「もう一度いれてやれ!」平原の車券持ってるひとは「捨てて内!」そんなところだろうか。平原は吉田に「ひとつ借り」と記するは下衆の勘ぐりか。
 第三章、過日の小倉競輪祭の五日目、第十一レースの準決勝は、新山響平-渡邉一成がジャンすぎにたたいて先行、すこし遅れて吉田拓矢-平原康多-武藤龍生で終向を通過した。大きく車間をきった渡邉のテクニックも効いたが、吉田は冷静に直線勝負に賭け、いわゆる自分だけ届く三着、それが翌日の初タイトルへとつながるのである。叱声を覚悟で述べるが、この一番におれは、平原から吉田にむけた「配慮」を感じえずにはいられない。もう怒られてもいいから、今度は吉田が平原に「ひとつ借り」。
 この半年の平原康多、吉田拓矢、宿口陽一が織りなすストーリィの終章が年末のグランプリなのだ。と、こころ躍るのはもちろんなのだが、できすぎの物語をうたがう、捻くれもののおれも、またいる。
 で、さらにこうも想う。
 物語が競輪を信じさせるわけではなく、競輪を信じるから物語が生まれるのである――。
 



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