浅井康太の前位置に居た上田堯弥が仕かけた時、ヨシッと声が出たが、肝腎の柴崎淳が中バンクで泳いでいるのを見てがくりとからだの力が抜けた。
三対二対二対一対一の五分戦、換言すると「三重の兄弟弟子に地元の中部三人」対「二段駆けありの関東」対「S班コンビ」対「強烈なカマシの持ち主は単騎」対「屈指のオールラウンダーも単騎」の五分戦は、見ている分には面白いっちゃ面白いし、人によっては推理のしがいある競輪なのだろうけど、俺には多分に端からお手上げに近い。
その大垣記念決勝発走からさかのぼること三時間半前、武雄のA級決勝で本線の三番手を九州同士で競るという競輪があったのだが、――こんな競輪、昔見たことあるなぁ。そんな既視感が起き、不思議な気分で観戦していた。
並びを詳述すると、緒方将樹(熊本・117期)-野口大誠(熊本105期)の後ろを池田浩士(佐賀・86期)と米原大輔(沖縄・86期)の九州且つ同期で競り。緒方と野口は自力-自力の布陣だ。別線には畝木努(岡山・107期)-和田誠寿(広島・103期)、こちらは自力-自在の並びと云えるか。あとは単騎で多彩な攻めが特徴の保科千春(宮城・100期)である。
半世紀を超えるほど競輪を見ているわけではないから正確ではないが、俺が競輪を見始めた頃にはまだ、九車立の二分戦(五人対四人とか、六人対三人もあっただろうか)という形態がけっこうあったと記憶する。二層制から三層制になったあたりからだろうか、徐々に三分戦が主流となり、「四番手はまわれない」競輪があたりまえになっていった。あの時代に見た、――四番手はまわれない。が、別筋で闘いたくはない。ゆえに同地域でも三番手を競る。――そんな競走の記憶の切れ端が、脳内のどこかからポコッと頭を出したのかもしれない。
地元で三番手を競られる池田と、点数が下でも地元に競り込む米原の「競輪」は見事であった。
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