ブログ

楽しみといえば

2023/10/11 14:22 閲覧数(384)
このブログを違反通報します
違反通報のフォーム画面へ移動します。
 夜は輾転反側して寝られない。
 その分おぎなうため昼は椅子のうえでうとうと、布団を引っぱり出してきて本格の昼寝をする。
 おもてを歩くのがいちばん、できれば速度をちょっとだけ上げてと言われ、わかりました、残暑が一段落したら体のために。と答えておいたが、朝は妙に寒い、日中は秋の花粉が。おそらくすぐ寒くなって言い付けを実行することはできないだろう。
 十数年暗譜しているはずの曲が弾けない。
 こうまで指が運ばないと大仰だが暗澹とした気分がおこる。
 漢字が書けないのはもとからだが、得意だった割り算すらすっとできない。
 あれまあ、頭から指先まで、老いるということは難儀である。昭和十一年生まれの母親は会うとおれに、財布に一円玉とか十円玉しか入っていないと言う。お金を使う必要のない環境にいるのだけど、やっぱり金が身近に全然ないということは人間を不安にさせるのだろうか。誰しも金の呪縛にやられているのかもしれん。ま、いずれ我が身だ。観念する。だからといって毎度毎度の母とわたしのやりとりが悲壮なわけでもない。そう思いたいだけかもしれないが。
 前の晩に考えた車券は忘れないように朝買ってしまう。
 現場で見ることもごく稀にはある。発走時間にテレビの前で見ることもある。が、たいていはVTRだ。自宅。喫茶店。本屋の表。コンビニの駐車場。病院の端。大概はずれる(正確には結果がすでに出たものを見ているわけだから「はずれている」となるのか)。あたりまえだギャンブルだから。というよりおれは下手っぴいだから。が、ごくたまには的中する。あたりまえだギャンブルはそういうふうにできている。当りの快感の効き目は老若男女いっしょらしく、いきなり体調が良くなる。ギターもういっぺん最初からやるか。算数もう一度お復習いしようかしら。速歩だ。ジョギングだ。前向きになる。明るくなる。ところが老若の違いは昂揚の長さであろうか。しばらくすると、もしくは次のレースがあっけなく外れ、次の次もその次も。もとの怠惰な男に戻ってしまう。ほどよい頻度で的中なれば道は拓けるのだろうが、そりゃ神のみぞ知る。
 ♪楽しみといえばお前と会うことぐらいで、それ以外は全部カスみてえなもんさ、おもいっきり二人愛しあったあと、ガタのきたバイクでお前の家まで」とSIONが歌っている。発表されたのは八六年のアルバム『春夏秋冬』の二曲目「楽しみといえば」で、作者二十五六の時の曲である。
 六十五才のおれの楽しみと言えば、車券を買った競輪のレースを見ることぐらいだ。ふだんさんざん競輪に悪口を吐いているのは愛するゆえの憎しみというやつで、よくぞおれの前にあらわれてくれたものだ。サンキュー、ベイビー! サンキュー、競輪! である。
 附記――。あまりガールズの車券は買わないのだけれども、初日二日の池上あかりがあまりに健気だったので頭から、和歌山の最終日六レースだ。さっき見た。よしいった! 頭だろう! でもテレビのカメラは豊岡英子を映しているような。来てないのかな? スロー映像。届いてない。惜しい。残念。ヘルの俺が買ったせいで八分の一輪足りなかったようだ。ごめん、あかりちゃん。


  • 読者になる

現在、コメントの投稿を受け付けていません。

TOPへ