高温多湿の昼日中は無理だけど、朝日が昇る手前の早朝なら、風の通り道を探しつつ、ぼんやり散歩をする事は、この季節でもまだ、出来なくもない。イヤホンをノイズキャンセリングにして音楽を聞きながら歩く事がほとんどで、以前はその日の気分でプレイリストを替えていたのだが、最近は専ら、iPhoneに宅録した自分の弾き語りを聞く様になった。自分の声に一番に落ち着くなどと申せば、いささか妙ちきりんだけど。
無理筋で連想の紐を伸ばすが、ぼんやりしていいのは散歩だけで、競輪はいくら脚があっても、ぼんやりしていては勝機はしぼむ。今日の決勝を見ていて改めて思った。一瞬の迷いで勝ちを逸する場面を痛感もした。むろん散歩のぼんやりと競輪のぼんやりは意味合いが異なるが、大括りには似た様なものだ。
和田健太郎の火焔の様な競輪を誉めたい。
但し、競輪は攻めダルマになれば勝てるという単純な格闘技ではない。
和田の優勝は素晴らしかった。が、その裏には、素晴らしくなかったは変だから、やはり「ぼんやり」してしまった選手が複数人いたという事になる、が私見である。もちろん、ぼんやりとぼんやりじゃない競輪を込みで車券を買っている訳だから、文句など言えた義理じゃない。ただ最近時々思うんだ。野球でも競輪でも他のスポーツの中継でも、感想と言えば素晴らしい素晴らしいばかりで、素晴らしくない所も一寸は口にしてくれないと興趣を欠く。
偏屈な文章になった。
お仕舞い。
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