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泣きのもう一丁などでは決してない

2024/07/08 7:27 閲覧数(152)
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 昨日の小松島記念の負けがローブローのように効いている。
 尾を引くようなギャンブルなど、悲しいかな、とうに卒業しているはずで、たいそうな枚数を賭したわけでもない、むしろはずかしいくらいの枚数しか買っていない。それなのに、一晩寝てももぞもぞ残っているのは、あまりに見当はずれだったゆえか、レースの途中でポカンと集中が途切れたせいか。
 よく俺は、競輪より大事なものはごまんとある、と書く。幾分ふて腐れ気味に。競輪より競輪場で育ったのだと、誰に聞かれたわけでもないのに、エキセントリックを装う。競輪競馬競艇オート平等に扱うギャンブラーを装う。が、これらは、おそらく嘘だな。そりゃ朝ドラに落涙したり、好きな音楽に背骨が立ったり、下手な弾き語りが百回に一回いい出来だとよろこんだりはするけど、やはりそれらも、(競輪の)車券が当たった時に、儲かった時に、起こる、大げさに言えば、天にも昇るような昂揚には敵わない。という実際を、素直に認めなければいけない。
 妙に悔しいから、もう一丁。
 小田原FⅠ、初日、第十二競走。各線とも先頭役は自在屋の印象。どこが先行でもハコ差し乃至ズブズブから。短走路だし高目はズブズブだけど、筋のズブズブがあるのは、三人ラインの中部近畿の所だけだから、③④。取り返してやろうと思うときは、たいてい二車単である。ついでにカミングアウトすると、俺の競輪頭脳(そんな高尚なものがあるのだとすればだが)は、数学が数Ⅰと数Ⅱの間で終わっているように、枠単から二車単までは何とか学習したが、三連単の手前で終わっている。

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