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府中物語

2018/08/06 22:32 閲覧数(614)
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 友人の実家が営む東京都府中市の家具店で配送のアルバイトをしたのは二十一歳二十二歳の頃だ。階段から搬入することが叶わぬ箪笥や食器棚をベランダから吊り上げる苦労と、ズシリと腰にくる座卓の重さを忘れないでいる。
 店から数分歩けば府中競馬場なので、開催日の土日はよく馬券を買いに抜け出した。一度「障害」に転向してからまた戻り、そのあとよく走ったガッツオンワード、大橋巨泉さんの持ち馬だったカネミノブ、名馬の名より当時の「持ち駒」の馬名がスッと浮かぶ。
 隣のクリーニング屋の小父さんは競艇が好きで、よく多摩川の話を聞かされた。その隣には葬儀屋さんがあり、たまに俺と友人が手伝いに借り出され、はじめて死後硬直した遺体に触れるという経験もした。
 商店街の一角にあるビルの何階だかに競馬コンサルタントなる看板が挙がったのはいつだったろう。スポーツ新聞の記者から解説者に転身、一躍時の人となったM氏が起ち上げた会社だった。一時は盛況だったものの、最後は何台もの黒塗りの高級車が押し寄せ取付騒ぎとなるのだが、俺がまだ働いている最中の事件だったのかどうかは記憶が怪しい。M氏失踪の記事は新聞にも載ったはずだ。
 土日以外の毎日商店街を廻る信用金庫の営業さんの名前を想い出そうとするが、出てこない。親がかりではない初めての預金通帳はこの人に作ってもらったものだ。
 店の主人(友人の父親)は宝くじをよく買う人で、何回分かたまると当たってるかどうか見に行かされるのだが、煙草屋の店先だか、そんなような場所で当選番号が記された冊子と首っぴきで照合したものだ。たまに五千円とか三万円とかの当選をそこで経験したことは(俺個人の的中ではなくとも)、後年の俺の宝くじ信仰に影響を与えている。
 府中にはさくらグループが運営する焼肉屋やパチンコ屋が何軒もあった。「さくら」が馬主の競走馬がクラッシックを優勝すると、小箱一杯の玉が無料とか、カルビ一人前無料と街はお祭り騒ぎとなった。そうだ、大國魂神社の夜祭で観た見世物小屋も懐かしいなァ。
 二十歳そこそこの俺は、何も考えていないガキで、競馬がしたい・パチンコが打ちたい・麻雀がしたい――ただ遊びたい毎日のちょっとした隙間から、あの競輪がむくりと頭をもたげることになる。
 ジョン・レノン射殺事件の報を配達中の軽トラのラジオで聞いたのは俺が二十二歳の冬、まだ競輪の初体験は済ましていない。
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