僕が競輪にどっぷりと浸かるようになったのは、ここ、花月園競輪場でした。
仕事もせず、ヒモ生活で日々ブラブラしていた時、花月園のポケットカレンダーを見ては、いついこうかと、ずっと布団でわくわくし、初日の出走表が出るのを、keirin.jpでリロードし続け、次の日には「夕方帰る」、と家族に一言残して、開門前には、特観の、ロイヤルの入場券売り場に並んでいました。
昼はホルモンライスを飲み物のように食べ、青空の下ビールを飲み、最終レースが終われば、坂の下に出ていた屋台に寄って、店のおばちゃんから「もう閉めるよ!!!」と言われるまで飲み続け、いつの間にか、開門前にも、レースの合間にも抜け出して屋台に寄るようになり、家に帰っては「酒臭い!」と怒られていました。
その、花月園競輪場が閉まってから、4年がたちます。
忘れもしません、最後の日、行けなかったのですよね。別の仕事で。本当に本当に悔しくて。
3月が来ると、花月園の桜が咲くのだなあと、思い出しながらこの4年を過ごしてきました。
そして思い出しては、毎年、花月園の桜は元気かな、切られてないかな、見に行こうと思いながらも、行けずに、行かずに終わっていたのですが、今年、横浜で桜が咲いたその日に行ってきました。花月園競輪場跡へ。
京浜急行で花月園前駅へ。改札を出て左へ行くと、もうきっと開くことがない、臨時改札がそのまま残っていました。その臨時改札の上にある運賃表はすでに外されていました。
JRの線路を渡る陸橋には、エレベーターが新たについていました。
飲み屋だったビルの1階、物置になっていましたがそのままでした。線路脇を走る道の看板には、災害時の避難場所として花月園競輪場の名前が残っていました。
保育園を右手に見ながら、坂を上っていくと一気に空が高くなりました。そこにそびえたつ、青の花月園競輪場のメインスタンド。そのままでした。
競輪があったときには、手狭にも思えた駐車場。今では、小学生の女の子たちが自転車を並べながら、地べたに座って春休みを楽しんでいました。子どもたちにとっては、ちょうどいい、邪魔の入らない空き地になっていました。
4年たったんだなあ。たった4年なんだよなあ。
と思いながら、僕にはもう見ることができないバンクを思い出しながら、花月園のスタンドでどう過ごしていたかと振り返っていました。
ふと、声が聞こえた気がしました。花月園では、いつもこの人の声に包まれていました。金澤博恵さん。その、金澤さんにお話をうかがいました。
(続く)
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金澤さん・・・(前編)
2014/04/01 9:28 閲覧数(1840)
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