常磐線が利根川の鉄橋を渡っている。
車掌さんの車内放送がじきの取手駅到着を告げたその時、あ、そうか、だからEさんが出て来たんだ、と独りごちた。
午前三時くらいだったろうか、夢に先輩記者だったEさんがあらわれた。故人の夢をまるで見ないというわけではないが、シャツの第一ボタンを空けた頸にスカーフを巻き、明るい色のジャケットと紺のスラックス、ああもはっきりした夢の残像は稀有で、おどろいた。引きずるというほどではないにしても、朝起きてから幾度か、思いだしては理由めいたものを探そうとした。
昨夕、たまには取手競輪場にでも行ってみようかしら、ふと思ったのは、昼じゅうスピードチャンネルを点けっぱなしにしていたせいだ。取手駅から競輪場まではあの道を歩こう、交番の前の陸橋を渡って……考えててるだけで浮きたつ気分が起った。
取手といえばEさん、そのくらいEさんの取手担当歴は長かった。明日取手に行こうと思った晩の夢にEさんが出てきてなんの不思議があろう。
取手の駅前はなんだか大がかりの工事現場になっていた。
西口を右に降りてしばらく歩き、左に折れてすこしゆくと幅広の国道にあたる、前述した交番の前の陸橋の所だ。ちょっと行くと浄土宗のお寺があり、本堂の左奥に墓所がひろがっている。そこに出るといきなり取手競輪場の建屋が見える。場内放送も聞こえてくる。この墓場コースを好んで歩いたDは達者にしているだろうか。
バック側三角附近の指定席は空席が目立った。
昔はバックに大きなスタンドが建っていた。同じ建屋の一角に予想紙の記者室があった。もしかすると位置としては今いる特別観覧席に近いかもしれない。とか想いはじめたら、当時一緒だった他紙のIさんの顔がふっと浮かんだ。車券の大好きな記者だった。二人してよく車券を買った。とくに最終日は仕事が成績をとるだけと楽だったのでアツくなって買った。勝負がかった時には二人して観客席まで降りて声を出した。ある夏の日、ともにパンクしてしょぼんとしていると、記者席のメッセンの六十年配の女性から、元気だしなさい、スイカでも食べて、と差し入れをいただいたこともあったっけ。
準決の途中から雨が降った。
野口(裕史)ほんと強いわあ、と誰かが言い、鈴木(竜士)は弱くなったねえー、とちがう誰かが嘆いた。
十一レースの準決も十二レースの準決も二分戦に近い形態だった。結果はともに本線の二車単二百円台から三着に別線の先導で三連単は千五百台、本線奏功なのに、本線に「やられちゃう」方の自力が三着という、買いにくいけど今の競輪では買わなきゃいけない車券に、古い競輪から脱けられない私は降参だった。
帰路は無料バスを頼った。バスは国道に出て何百㍍か進んで左折、バス通りを走る。車中から薄暗くなった外を見ていた。懐かしいペット屋の看板が見える。シャッターは降りていた。
♪明日がなければ意味がない、悩みがなければ味気ない、今日と一緒に歩いてゆく、よりよい明日へと紛れてゆく、と佐野元春が『明日への誓い』で唄っている。
聴きながら私は、明日取手じゃなきゃ意味がない、明日勝たなきゃ意味がない、と頭の中で替え唄う、なんという不届き千万であるか。
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