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Gimme Some Truth――川崎競輪場は安息の地でありうるか――①

2017/12/03 21:31 閲覧数(651)
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 三十数年前、古いビルの何階かに川崎競輪の車券を払い戻しする出張所があった。京急川崎の方に出てしまったので当時の記憶を辿ろうとするが無理だった。一時病みつくようにかよったフィリンピン・クラブがあったビルも判然としない。JR川崎駅前から仕切り直しだ。
 仲見世通の入口看板の下には「客引き行為等禁止!」の太字横書き。「銀柳街」を横切って直進、「ローリング・ストーン」「ウッドストック」の店名だけで嬉しくなってくる。キャバレー「宝塚」の広告塔が懐かしい。closing timeからまだ起きない、昼間の歓楽街を歩くのを俺は嫌いじゃない。仲見世通の終点に「イリュージョン」という名のフィリピン・パブがあってさらに楽しくなった。大通りのむこう側には昔から同じ場所に「ロイヤルホスト」が営業している。信号を渡るとすぐの小学校では校庭で少年野球の練習中だった。大人数の赤のユニフォームに三番車を意識してしまう俺はすでに競輪モードである。富士見中学校までぶっついて左折、教育文化会館の歩道橋のところを右折するとすぐに競輪場だ。昔、競輪場に早く来すぎて何度か暇つぶしに入ったことがある図書館が閉館となっていた。平成29年12月1日をもって……の告知文、つい一昨日のことじゃァないか――。
 ちょっと行くと四枚の引き伸ばされた空撮の写真が展示されている。
昭和二十七年、平成二年・二十一年・二十七年の空からの川崎競輪場を俺は、立ちどまって見るのだった(続く)。

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