昔と変わらない赤と白のもつ煮の定食は美味だった。川崎競輪場の鯨フライを口にしたのは何十年ぶりなのだろう。そこら中に飯屋がある川崎ではなくなってしまったが、それでも三階の食堂のおばちゃんの発する活気はあの時代に似ていた。二センターの金網越しからの観戦も相当ぶりである。この場所から鈴木等(山梨34期・引退)のイン粘りに「ドカしちゃえ!」と声を張り上げた最終日の最終競走(当時の川崎競輪は帰りの混雑緩和のため9レース決勝、最終10レースは敗者特選だった)から三十五年近くが経っている。
二コーナー付近に陣取っている常連(と見受けられる)から梶田舞に声がかかる。「おい、まい、千葉みたいに飛んじゃっていいぞ。千葉の初日と同じように消えて(着外になって)くれ――」と。するとさらに奥の方から子供の声で「まいちゃんがんばれ、まいちゃん、がんばってえ――!」だ。貫禄楽勝の梶田がバンクを流していると今度は、「まいちゃん、お疲れ様で~す」という成人女性の声が聞こえてきた。
派手なニット帽の爺さんがブツブツ呟きながら歩いている。アジフライを齧りながら予想紙をめくる動作がいかにも手慣れた感じのガタイのいい中年。端の椅子席に陣取った短躯の男が開いたノートには出走表が貼られ、その下段には細かい数字が書きこまれている。男の口から小声が漏れる。――松戸でやってるじゃないか。12、18、10……、八番は捲りだろう。――いやいやいやァ、まいった。――穴だよ、このレースは――。
昔、京王閣の食堂で、初日の黒競新聞を切り張りして二日目以降の自家製予想紙を作り持参する人間に出くわしたことがあったっけ。あの頃のふったぎるような競輪場とは違うし、恐い人間も歩いてないのだが、男たちの灰色黒色系の衣服の好みは往時とさして変わらない。ただ足元は革靴や作業靴から九割がたスニーカーとなっていた。
雲一つない冬の青空、正面スタンド上階にはたっぷりと陽が届いている。俺が座った濃い青色の席の背には「お-141」と長方形のプレート。かつて指定席だった名残だ。締切五分前を告げるヴィヴァルディの「四季」が流れると、俺は軽い睡魔を憶え、遠い過去にタイムスリップする感覚が起こる――。
“二十代後半の男が、定職にも就かず、競輪場がよいの日々。もう独り身でもないし、いい加減卒業しなくちゃなァ――。毎日考えるもののずるずるズルズル。重苦しい午前中をやり過ごし、ひとたび競輪場の門をくぐると、厄介な焦りが嘘のように消えてしまうものだから、男は中毒患者のように、ポケットの小銭を指で数えながら日参するのだった。”
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