ブログ

鶴の遠征、その二

2020/04/19 11:36 閲覧数(653)
このブログを違反通報します
違反通報のフォーム画面へ移動します。
 『鶴の遠征』の中盤はいよいよ、鶴こと富沢さんと巡った二泊三日、後楽園競輪場~宇都宮競輪場~弥彦競輪場鶴の遠征を阿佐田が述懐する。
〈その夜は伊香保で一泊した。芸妓さんを混じえてにぎやかに飯を食って、その夜は鋭気を養おうと夜具に腹這いになったが、富沢さんが机に座ったきり動かない。持参した競輪の資料を堆く積んで、
「阿佐田さん、Aという選手は三場所ほど前にBと走って勝ってるよ。しかるにです、宇都宮ではBが◎でAは人気うすです。これは波乱と思いませんか」
「はァ、なにしろAは一発屋ですから」
「しかしBはCやDに勝ってる。Cといえば貴方、大レース級ですからね。Bもなかなか強い」
「格はBのほうがかなり上ですな」
「Cはどうだろう、Cの成績を見ますと――」
 とキリがない。とうとう一睡もせず、翌日まで検討に加わった。かんじんの競輪場ではフラフラでさっぱり勘が冴えない。しかし鶴のような富沢老人は元気一杯で人波の中にもまれている。(前掲書No.1443~1453)
 俺が競輪に最も淫していたのは二十代後半の数年間で、旅打ちは百%友人Oと一緒だった。駅から徒歩十五分はかかる安旅館の部屋の布団に、商店街の奥に建つ安ビジネスホテルの狭い部屋のベッドに寝そべりながら、予想紙をひろげての“勉強会”が懐かしい。知らぬ土地の知らぬ町でも、Oはこともなげに前夜版を仕入れてきたっけ。当時は二人ともビール一杯で顔が赤くなる質だったから、飯を食ったらパチンコ屋で暇を潰すか競輪の予習、あとは窮屈なユニットバスを嫌って町の銭湯を探したりするぐらいで、質素倹約の旅であった。
〈私はこの二日間で三キロほど痩せた。翌早朝、弥彦に向けて出発。昼頃競輪場に着いて一戦。その夜、弥彦のホテルで、
「阿佐田さん、今日は寝ますか、それとも勉強しますか」
「すみませんが寝かしてもらいます。もうとてももちません」
「そうですか、あたしはずっと勉強してますから」
 翌日の弥彦最終日、いつも柔和なこの老作家の眼が、凄いほどに緊張していた。田中博と早福寿作の本命車券に、珍しく五万円ほど張りこんで、
「こういう大勝負しているときがね、当たってもはずれてもスッとします。温泉より身体にいいね」〉(前掲書No.1460~1466)
 どちらかといえばOは穴党で俺は本命党だった。あれは小田原だったか。アツくなって二百円あるかないかの◎○を打った俺をOは心配そうな顔で見ていた。立川で五千円の穴車券をぶ厚く当てたOと抱きあい、そのまま大井競馬のナイターに出張ったこともある。後日その立川の金で俺たちはグアム島に旅行したのだが、ドッグレースで幾らか負けた日のレース場からホテルへの帰路、「内枠だけ買ってれば勝てるンじゃない……」ぽつりOが喋ったのを想いだした。(次項につづく)



現在、コメントの投稿を受け付けていません。

TOPへ