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「セアの申し子」をもう一度スーパースター戦で観ることができるでしょうか。

2014/07/28 22:35 閲覧数(9819)
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最近ツブッターを始めました。レース直前にピンと来た時とか、レース後の感想などをつぶやいています。時間がある時だけですので、本当に時々ですが気が向いたら覗いてみてください。

さて今回は片平巧選手です。

今年初めのシルクカップ最終日・11R。片平選手が藤波選手に差し返されるというシーンがありました。吉原アナウンサーが少しオーバーに叫んでいましたが、藤波選手は決して速いタイプではないにしろ、絶えずインを意識して走るので、入れると思えば躊躇はしないでしょう。だから特に違和感を持ちませんでした。

私の素直な感想は、「今の片平選手ならインから差されても不思議ではない」の一言です。もちろん全盛期の頃にインから抜かれたら、それは事件です(笑)。全てのレースを観たわけではないですが、そのような光景は記憶にありません。

では、なぜ今の片平選手をインから抜くことが特に難しくないのか?それは走るコースが全盛期よりも大きくなっているからです。

昨年のいつ頃だったかは記憶していないのですが、片平選手が格下の選手を外から捲ったレースがありました。彼の技術ならインから楽々差せる相手です。「あれっ?」と思ったのですが、それからしばらく観察していました。そして確信しました。彼は本気なのだな、と。

本気の意味とは何か?
2年ぐらい前だと思いますが、あるインタビューで「もう一度スーパースター戦に出たい」と片平選手が語っていたのを観ました。その温和な表情から本気度を測ることはできませんが、やはりレーサーはレースを観れば、ある程度は推察できるものです。

片平選手は走法を変えているのではないか。スーパースター戦に出るために・・・・。



「イン高速走法」という名の下に1990年代のオートレースを席巻したレーサー。もし、最もインパクトのあったオート選手を一人挙げろと言われれば、迷わず私は「片平巧」選手にします。

なぜ彼なのか?それは、オートレースの常識を変えた選手だと思っているからです。

もう25年ぐらい前だと思います。伊勢崎での出来事でした。

オールスターだったような、記念だったような、どうも記憶がはっきりしていませんが、いわゆる片平オッズが出来上がっていたのをよく覚えています。

親しくしていた予想屋から耳打ちをされました。それは、ある車券を買ってきてほしいとのこと。2連単・2連複しかなく、6枠制・8車立ての時代です。確か6-6か5-5のゾロ目だったと思います。

しかしそれは片平選手を蹴飛ばしている車券です。
私が不思議そうな顔をしていたのでしょう、予想屋が、
「騙されたと思って乗ってみろよ」
と、微笑みながら言うのです。
まぁ、いいかと思い、渡された1000円を持って買いに行きました。ついでに私も500円。

レースは当然のように片平選手の1着。けれども場内がざわついている。審議のランプが点灯して、対象選手が片平選手とアナウンスされました。

男性の声で放送が流れ始めました。この時点で失格です。しかし、さらに驚いたのはその理由です。周回までは覚えていませんが、内線突破の回数を3回と言ったのを記憶しています。

(・・・、内線突破を3回・・・?)
車券は取りました。万車券ではなかったですがその半分ぐらいはあったと思います。
予想屋のところに戻ると、満面の笑みを浮かべていました。
「あいつには、これがあるんだよ」
「えっ、内線突破が?」
「他の選手が走らないところを走るのが片平だから・・・」
「はぁ・・・?」
(確かに内線の内側を走る選手はいませんけど・・・)


この出来事から20年ぐらい経ってからでしょうか、なぜ片平選手は何度も内線突破を犯してしまうのか、さらにセアになって彼はなぜ強くなったのか、その理由を理解する機会がありました。それはCS放送で片平選手と王者の対談番組を観たからです。

番組の中で、初めてのSGに出場して準決勝で1着を取りながら、内線突破を7回犯して失格になったと言っていました。だとすると1988年の伊勢崎でのオールスターだと思いますが、確かに私の記憶とも符合はしています。内線突破の数字が記憶と違うのはあまりに回数が多かったので、おそらく審判が省略したのでしょう(笑)。記念かもしれないと思っているのは、その後のレースなのかもしれません。

なぜ、そんなにも多く内線を超えてしまったのかを司会者から聞かれ、片平選手はこう答えていました。
「向きを変えた時に、一気にグリップを開けたいので、遅れると(開けるのが)リアが流れてしまう・・・」
「その時は特に狭かったので・・・」

あっ、そういうことなんだ、と私は思いました。
私なりに簡単に説明させてもらいます。

コーナーに侵入する際はハンドルを左にしてバイクを寝かせますが、そのままの状態で走れば、いずれ前輪が内線を超えてしまいます。ですから、どこかでバイクの向きを変えることになります。その位置は選手によって違いますが、方法はハンドルを右に切ることです。もっと正確に言えば逆ハンにする。そうするとハンドルがブレーキの役目を果たすことになり、自然とバイクが起きてきます。要するに遠心力の応用ですね。丸く回る場合、前輪が左に行こうとすれば、後輪は右に行こうとします。ですからその逆をやれば反対の現象がおきます。

バイクは後輪駆動ですから、滑ろうとするタイヤに力が加われば制御が可能になります。そういう行為をグリットさせると表現するのですかね、私もその辺は詳しくないので申し訳ありませんが、グリッドロックの意味には身動きが取れないというのがあるので正しいのかもしれません。

今でも立ち上がりで膨らんでしまう選手がいますが、あれはグリップの開け遅れが原因です。言い方を変えれば、突っ込み過ぎて向きを変えるのが遅れてしまうのです。引退した田代選手の得意技でした(笑)。敬意を表してですが。

立ち上がりで滑らせるのは加速に対してリアが負けてしまう現象です。突っ込む時にドリフトさせるのとは根本的に違います。



大雑把ですが、とりあえずこの説明が前提で以下を読んでもらえば幸いです。

トライアンフやフジの時代は昔の映像を見てもらえばわかるのですが、コース取りが小さく接近戦がほとんどです。どうしてそうなのかと言うと、660ccの排気量ですからパワーがあるので加速は早い。けれどもその反面、コーナーではかなり減速しないと曲がり切れない。おそらくグリップを絞るポイントも、向きを変えるポイントもほとんど差がなかったのでしょうね。何よりもインが狭い。

しかし片平選手はそこに入ってゆき、その狭いところで向きを変えようとしていました。ある意味内線突破は宿命だったのかもしれません。けれどもオートレースの常識を変えたと私が書いた理由は、まさにここにあります。そんなことをする選手は、それまで誰一人として存在しなかったからです。

では、セアの出現で片平選手の「イン高速走法」が、なぜ開花したのか。

それは、誰よりも早く向きを変えるスペースができたこと。さらに、バイクをなるべく寝かせずにリアをドリフトさせながらインに入ってゆくスペースもできたこと。

映像を見ればわかります。トラやフジの時代より明らかにコースが大きくなっています。面白いものですね、排気量が落ちたことによってコーナースピードを上げなければいけなくなった。しかし、結果として上がりタイムは速くなっているのです。レーサーの本能とはそういうものなのでしょう。

車体を寝かせている時間より立っている時間の方が長ければ、速度が早くなることは当然です。では、誰にでもできることなのか?

コーナーを駆け抜けるのに概ね2~3秒でしょうか。その間にグリップの加減速とハンドル操作を行う。確かに身体は覚えているのでしょう。でも口で言うほど簡単なこととは思えません。しかし片平選手はセア導入後、誰よりも早くその技術を会得し、他の追随を許さない領域まで駆け抜けてしまいました。

もし興味があったら、1997年のスーパースター戦を観てください。ユーチューブに映像があります。たった一人H10で優勝した伝説のレースです。とにかく誰よりも、立ち上がりも突っ込みも速い、の一言です。



セア導入後、多くの選手が対応できずに苦しみました。トラやフジで名を馳せた選手たちが勝てなくなった理由を簡単には説明できませんが、1つだけ挙げるならグリップの加減速が繊細になったこと、加えてそれに伴うハンドル操作が難しくなったことでしょうか。しかし導入を先見したわけではないでしょうが、トラやフジの時代に片平選手は既に取り組んでいたのです。

けれども2000年代に入って結果を残せなくなってゆきます。いわゆる「高速戦」に対応ができない、と言われるようになりました。若い選手たちの、コーナーでもグリップを開けて大きく回る走法。片平選手がインに入っても立ち上がりで引き離されてしまう・・・という、信じられない光景が目の前で繰り広げられるようになりました。

どうしてでしょうか?

私なりの答えは以下の通りです。

1、身体能力の衰え
2、改良されたエンジンの性能
3、タイヤの質の向上
4、フレームやパーツの軽量化

片平選手の走法は、やはり能力が落ちれば厳しいと思います。例えて言えば、永井大介選手が40代中盤になって同じスタイルで走れるのかどうか・・・、という意味と共通しています。永井大介選手も相当の身体能力を必要とするフォームだからです。

現在のセアのエンジンは、どうも加速が遅いような気がしています。例えばインを主体で走る選手が、立ち上がりで捲られてしまうのをよく見かけるのですが、あれはコースロスがあったとしても、スピードに乗っている方が有利なのかと思えて仕方がありません。

タイヤの質が上がったのは間違いないです。それでも滑っていますがね。

軽量化についてはあくまでも私の推測です。特に消音マフラーになってからパワーが落ちていると思うのですが、タイムは落ちていません。とすればフレームやパーツなどが軽量化していれば、その説明ができます。


現在の状況は、インに入ってコーナーでの加減速を大きくするより、たとえ大きく回っても加減速の度合いを小さくしてスピードに乗った方が有利なのかもしれません。

でも浦田選手や王者や中村雅人選手はインから抜きますよね。けれども彼らは捲るべき時、スピードに乗っていなければいけない時は外を走っています。そして、ここでという場面でリアを滑らせながらインに入ってゆく。要するに自在性を発揮する走り方をしています。

片平選手の師匠である川口で解説している板橋忍さんが、浦田選手と片平選手の走り方が似ていると発言していました。言われてみればそうだな、と思います。しかし違いにも気づきました。浦田選手には捲りもあるけど、片平選手にはほとんどないことです。

余談ですが、浦田選手の調子をみる私のポイントは、まず1・2コーナーで内線すれすれで走っているかどうか。そして4コーナーの立ち上がりでしっかり加速できているかどうかです。たまにですが、立ち上がりで膨らむ時があります。こういう時の結果は間違いなく悪いです。

と、ここまで書いているうちに気づいたことがありました。
今の片平選手は、立ち上がりでけっこう流れている光景を目にします。冒頭で書いた藤波選手に入られたのも、どちらかというと流れ気味でした。

さて、ここで無責任な話で申し訳ないのですが、わからなくなってしまいました。

あれはどういうことなのか?元々バイクの制御技術は卓越しているはずなのに。それとも制御が厳しいぐらいグリップを開けているのか。だとすれば、走法を変えようとしているという私の推察は正しいことになるのですが・・・。

1997年のスーパースター戦の映像を見ると、1つの疑念が湧いてしまいます。本人には失礼なのですが、やはり身体能力の衰えが大きいのではないか。とすれば、たとえ捲りも使える走法に変えたとしても限界があるように思えてしまうのです。

だけど・・・、私は思うのです。片平選手はそれを承知でやっているのでないか。来年は50歳になるのに、今まで築き上げたものを捨てて挑戦している。もしそうだとしたら頭が下がります。

きちんと調べたわけではありませんが、おそらく大晦日決戦になってから、片平選手は一度もスーパースター戦に出場していないのではないでしょうか。一度は頂点を極めた選手です。オート界最大のイベントの場に自分がいないという現実に、きっと忸怩たる思いがあるはずです。そして、その気持ちが彼を突き動かしているのではと思えてなりません。

正直言って、ここ1・2年で出場できなければ厳しいと思います。永井大介選手のような走りを片平選手がするとは思えないし、あるとすれば浦田選手や中村雅人選手のような走りでしょうが、彼らはオート選手としてピークの30歳代ですから。なかなか彼らのように走るのは難しいでしょう。

けれども、もし大晦日の8選手の中に片平選手がいたら、なんてことを想像するだけで少し幸せな気分になるのはなぜでしょう。私だけかもしれませんが。だから結果はどうでも良いのです。そんな光景を観ることができただけで満足するでしょう。もし、その光景を目の当たりにしたら、私はどう感じるのか予想がつきません。でも、泣くことはないと思いますよ(笑)。

しばらくは「片平巧」の挑戦を見守るつもりです。でも、くれぐれも怪我には注意してほしいと願っています。



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