「順番が来たら逃げる」のコメントに強い意志を感じられない。
黙々と順番が来ても先行はしない選手には意志を感じる。
微妙な私見だけど、「前々」より「先手ライン」更に「中団中団」の順に、意志は漸次濃さを増す。
「先行以外は何でも」と「先行含みに何でも」のコメントはどちらが意志的なのだろう。
後ろが競りだから捲りにまわる。後ろで競って貰っているのだから先行する。別線で競りがあるなら捲りに構える。いや、すんなりラインなのだから逃げる。全項意志的だと思う。
自由に走られても困る。とも思うが、「自由に」というコメントはユーモラスでもある。
暦は十二月だというのに、朝から脈略のない長広舌をふるう師走浪人ひとり。
ま、いくら意志が強かろうとリップサービスが上手だろうと、競輪は脚力が伴わなければどうにもならない。脚力が意志を補うことは可能かも知れないが、意志が普段以上の脚力を生むことはむずかしい(時折そういう場面に出くわした気になり、当欄にも興奮口調で記したりする筆者だけど)。
作家の佐藤優がよく「意志と能力のマトリックス」という言葉を使う。競輪になぞらえるなら、「意志と脚力」の積で選手の評価が下る、となるのか。
ま、競輪は、車券は、意志もあり能力もある(と思われる)選手だけを買うゲームではない。脚はあるけど意志薄弱~意志は強いが脚がない。十人十色の走り様を独善に思い込むギャンブルであるからにして、私の駄文はほぼ意味などないのである。
「取れた位置から」というコメントの発案者は誰なのかしら。選手の考案なのか、返答に困る選手に助け船を出した記者から生まれたのか。
私のパソコンは「とれ」と打つと予測変換で「取れた位置から。」が最上部にあらわれる。
最初「取れた位置から」には一寸以上の違和感を覚えたものだ。それが最近では親近感さえいだくようになった。
六十数年ずうっと「取れた位置から」生きてきた。
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