後ろで競ってくれるのは認めてもらっているということだから、それなりのレースをしなくてはと思い仕掛けた。一言一句正確ではないと思うけど、清水裕友が大レースの決勝後に語った心情は、まさに「意気に感ず」だった。
先日こんなレースを見た。A級の敗者戦で◎の後ろが競り。二車、二車の別線を出した◎。その後ろで二人が烈しく競っている。◎は仕掛けを遅らせる、というかまるで仕掛けない。その◎は自在っぽいところもあるし、下手に叩けば裸逃げの危険だってある。前団が割れた――三番手の選手が捲った――終向前後でようやく仕掛けたけど、競っていた後ろはたまったものではない。ともに離れて六着七着の憂き目を見た。勝てる時には万全を期して勝ちにゆく。プロなら当然のことだ。森川から後ろで競る二人を切って買う。当然の車券術だ。しかし私には「意気に感ぜず」の競輪であった。
二周(正確には二周近く)つっぱり先行があたりまえの競輪が全盛となるなんて、私が競輪をし始めたころには思いもしなかった(誘導員がつっぱり役という競輪は茶飯事だったけど)。つっぱってそのままの競輪が伝える「力感」は観客を魅了する。それは間違いのないことだけれども、私はこうも思う。つっぱり先行は新人の――まだ「競輪」に不慣れな選手の――戦法でもあり、常に大敗の――オーバー・ペースの――憂慮が伴う戦法でもある。S級のトップ選手が、己の頭で百いくら、後ろが差して三百円台のレースで用いる戦法にはあらず。むかしの競輪ではまずあり得なかった。むろん競走形態が様変わりした今の競輪をそれと比べるのは無茶かもしれない。しかし競輪は競輪である。昔も今も車券を介在する公営競技なのだから、やっぱり……一気にまくし立てたはいいが、ちょいと愚痴っぽいな。
♪蒼くなって、尻込みなさい、逃げなさい、隠れなさい、は加川良の『教訓Ⅰ』、私の競輪の「教訓Ⅳ」は、いくら強くても、本命の、断然本命の競輪ができない選手は、疑いなさい、である。
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