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物事。真面目に。実話。

2016/10/08 23:58 閲覧数(931)
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 どうしても買えない券がある。人によって様々だけれど、僕にとってのそれは、8-2-8だ。

 まず、そもそも8-2-8など3連単で買えない組み合わせだ。だけど、僕にとってはそんな仕組みの範囲での話でなく、書くことマークすることさえも難しい券。

 あれは、十年近く前の話だ。

 僕は二人の姉と、林業の父、そして看護師の母。ごくごく普通の五人家族だった。母の背を追うように二人の姉は看護師になる道を選び、僕は両親が働かなくともご飯を食べていけるような職に就けるようにとせっせと勉学に励んでいた。

 ある日だった。僕の母はこう言った。

 「できれば孫の顔が見れたらいいなぁ、でも、○○(僕)の修学旅行が最後かな・・・」

 え、いきなり何のこと?という言葉が感情と共に口から飛び出した。

 そして、母は僕の目をしっかりと見た。

 「癌なの。○○には言わなかったけど、実は前にも癌になってたの。だけどそれは手術をして、治療もしたの。でも、今回の検査でそれが転移していたらしいの。だから、お母さん○○の修学旅行の準備できるか分からないの・・・」

 本当に染み出るように目から涙が吹きだした。
 
 いつでも家にいて、僕の面倒を過剰に見てくれる「お母さん」は病に侵されていた。でも、そんなこと知らずに、僕は生意気な態度をとっていた。うるさい!と無視することもあった。だけど、一度たりとも僕のことを捨てる事はなかった。

 そんな僕を心から可愛がってくれる人を僕は「失う」。それも、いつかは分からないが近い未来で。

 そんな最中僕は悲しいことばかりをどうしても考えてしまっていた。だが、姉二人は違った。

 「今にシーズンは混んでるかもしれないけど、沖縄に行こう!」
 「いや、夏だからこそ北海道でしょ!」

 と、何とも楽観的な意見を持ち出した。

 当時の僕にとっては、この状況下で旅行に行くなんてもってのほかだ!と思っていたが、それは双方看護師。ある程度自分の状況、そして自分のお母さんの状態を理解出来ていた上での意見だったのだろう。それすなわち、死が確定事項なのだと彼女らには分かっていたのだ。

 それから、本当に沖縄に行ったり、北海道に行き、最後は能登半島に行った。

 自己満足だったのかもしれないが、いつ死んでもおかしくないような親と共に様々な場所を巡ることが出来たのは、本当にいい思い出だ。

 最後に行った能登半島に行った頃は、酸素吸入器をぶら下げ、車イスで旅していた。もしかしたら、傍からみれば連れまわしているように思われるかもしれないが、少なくとも僕のお母さんはそんな風に思っていなかったと思う。

 当時は転移も進み、生きるのに精いっぱいで本当に苦しかったと思う。だけど、事あるごとの笑顔はいつものお母さんだった。

 鼻にチューブがつながり、一呼吸も苦しいにも関わらず笑う母。

 僕はその笑顔を見たとき、心から生まれる感情というものを初めて感じた。決して作り物でなく、芯から生み出されたものだと。心から笑顔なのだと。

  

 今も覚えている。

 沖縄に行った記憶。能登に行った記憶。

 もしかしたら母ちゃんに無理させてたかもしれない。

 だけど、楽しかったよ。僕は。

 大変だったかもしれないけど、一緒に色々観れたあの時。

 笑って聴いてくれた、僕の人生相談。





 話せば本当に書き切れないほどのことがあった。だけど、書く余裕もないし、こんなことを書く場でもない。

 話しは大元に戻る。だけど、なぜ8-2-8に賭けれないかというと。最後の旅になった「能登半島」への旅は、8月26日。そして、僕の母が亡くなったのは8月28日。その期日をどう解釈するかは人による。だけど。 

 僕にとっては、どうしても8月28日は悲しい日のまま。
 
 だけど、僕の「お母さん」、彼女は死ぬ間際まで笑顔をみせていた。

 

 説得力も答えも何も無いが、もしかしたら実は、8-2-8は笑顔の印なのかもしれない。

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