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陰からひっそりと。

2016/10/22 14:20 閲覧数(1141)
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 久しぶりに時間が出来たので競輪やってます。

 天気がドヨョ~ンなので僕も気持ちが沈んでるいて、いつもほどはやる気が出ませんねぇ。


 そういえば、鳥取地震が先日起こりましたよね。その日にふと悲しいことに気がついたんです。画面で観ていると、なにか他人事のように感じてしまっている自分がいるってことに。地震の恐怖というものをイマイチ理解出来ていない自分がいることに。

 「地震って怖いね。大変だね。かわいそうだね。あなたの気持ちわかるよ......」

そんな風な口をきくのは簡単です。被災するということがどういうことか理解したように。

 今までの生活が無くなるという事象を果たしてどの程度理解できるのでしょうか。理解しようとすることは大変良いことだと思います。しかし、それを被災した人々はどう思うのでしょうか。ありがたいと思うのか、はたまた迷惑だと思うのか。私のいう迷惑とは同情の事ですが、同情されることを嫌う人もたくさんいると思います。

 我々が事態を理解するために必要な情報をメディアから得てる反面、当事者たちのプライベートなどが失われている現状もあり、報道されることを嫌う事もあるようで。様々なジレンマも生まれていますね。

 では果たしてどうすればいいのかと聞かれても、答えは一つじゃないので答えは出せませんが僕一個人としては、「偽善」でもいいから手助けしたいという気持ちをどこか言葉じゃないもので届けようと。

 僕の思考はだいぶひねくれているので、街で募金箱とかをみると本当に本人たちにこのお金は渡ってるのか?とか思ってしまいます。だけど、小銭を募金箱に入れてしまいます。なぜなら気持ちがいいから。自分のやってる行為が「あぁー、これで世の中のためになった!」と感じれるから。お金の流れ先を気にしているくせに、自分の欲求?のために募金しているんです。

 この僕の思考は大変被災者の方たちに嫌な思いをさせてしまっていることは重々承知しています。ですがあえて書きました。なぜかというと、もし自分が被災したとしたら僕のような気持ちでもいいから募金してほしいからです。たとえどんな気持ちでもいいから助けてほしいと思うだろうから。これはあくまでも予想です。なので、最初に言った通り自分が本当に被災しなければどう思うかは分かりません。

 二段落前に書いた行為は決して綺麗な気持ちの行為ではありませんが、その後不思議なことに復興が進むたびに心から「少しだけど大変な方たちのためになれた」と思えるんです。あの時募金しておいて良かったと。逆に何もしなかったら自分がただの「傍観者」だったと後悔していると思います。

 他人のために何かしてあげて、自分の時のために貯金しておくんです。他人が大変な時無視して、自分の時だけ助けてもらえるなんて思ったらダメだからね。


 今日は熊本地震復興競輪ですね。のんきに競輪やって復興を手伝ってる気持ちになるのは不純かもしれませんが、復興競輪というだけあってたぶん何らかの形で裏では誰かの手助けになっていると思います。
 

 なんだか嫌な内容になってしまいまして、ごめんなさい。

 今日は久留米競輪(熊本に向けて)に車券という形で精いっぱい募金してきます。
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