競輪がなくても俺は生きていける。
音楽を聴かなくても俺は死ぬわけじゃない。
でも競輪がなくて音楽もない人生はずいぶん味気ないものになるだろう。
ウォークマンやアイポッドなどない時代でも街を歩いているとき、公園に腰を下ろして煙草を吸っているときなど、俺の頭のなかでは音楽が鳴っていた。ローリングストーンズを自分に照射させながら演技をするのだと内田裕也が何かの雑誌で発言している。
♪音楽がなくても/僕らは死ぬワケじゃない/けど/それを「人生」とは/あまりにもさみしいじゃない/音楽がなくても/僕は君に恋をする/けど音楽がなければ/君と出会ってないかも/「ドラマチック」ではないのだ/「ドラマそのもの」の僕の人生だ/BGMがいるだろ?/とてもいいシーンだよ/今は――は「毛皮のマリーズ」の『NO MUSIC,NO LIFE』の一節だが、二十代後半の俺にとって「競輪」は「人生のBGMの役割」も果たしてくれていたように思う。胡散臭い博打場を歩く俺は半分ショーケンの気分だった。どこから「毒蛇」が出没するかわからない競輪場で緊張する自分にちょっとだけ陶酔したり、伊東競輪への旅打ちには、坂口安吾が書いた競輪のエッセイを携帯して行ったっけ。顔が赫くなる記憶ばかりだが、あの時代の競輪場は俺にとって第二の青春だったのだろう。奇妙な青春ではあるが、きっと。
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