新宿の百人町に三ヵ月足らず住んだことがある。二十二歳の頃だ。数棟が隣接している日本電子専門学校の校舎に近い、当時で築三十年はゆうに超えている襤褸アパートだった。場所が場所だけに歌舞伎町近辺で働く男女が過半だったのだろう、各々の生活時間がバラバラで安眠の叶わぬ数か月を経験した俺だ。
スピーカーから六十年台七十年台の洋楽が流れ、ディスプレイからは高速道路を走る車の後窓から撮った景色が只々流される――。ほんの数回訪れただけの店だが、深夜の新宿の不思議な空間を時々想い出す。三十五六の頃だ。
大島渚作品『戦場のメリークリスマス』の封切は何年だったろう。俺はどうしても観たくて、当時働いていた八王子から急ぎ最終近くの列車に乗り、新宿駅から噴水広場まで走った記憶がある。オール・ナイト上映の何回目かの時間にぎりぎり間に合ったのはいいが、疲れていたのだろう、途中で寝落ちしてしまった。
今や新宿コマ劇場はゴジラのビルと化し、噴水はとっくに撤去され、ミラノ座ビルの跡地には背の低いバーチャルの遊戯施設が建っている。
数年前に「新宿物語」なる拙文を当欄に記した記憶があるが、暇潰しに「辿る」散歩をしていると、枝葉のごとき連想によって何十年かの新宿が往き来する――。
ガキの時分は二幸ビル(現在のアルタ)、ワシントン靴店、伊勢丹百貨店――。日曜日の伊勢丹の食堂はいつも混んでいて、違う家族どうしの相席など当たり前、小学生の俺はカレーライスとソフトクリームの取り合わせにご満悦だった。
ライブ・ハウスのロフトがまだ西口だった時代、偶然聴いたミュージアムというバンド名をまだ忘れないでいる。
宿泊料金が四千円台だった幾つかのラブホテルの前には、泊まりの時間(当時は二十三時からだったか)ちょっと前に列が出来た。若い男女のカップル、出張旅費を浮かすための背広姿のサラリーマン、コマ劇場の前にあった新聞スタンドで前夜版の予想紙を買い求めた、旅打ち前夜の俺もたまにそこに居た。
歌舞伎町の奥の更に奥で見た、焚き火を囲んで唄っていたコスタリカの男女はまぼろしだったのだろうか――。甘く悲しい気分が起こっては消える。
“人生を賭けた転職がギャンブルであってはならない”――車内広告にあったコピーに俺は、“人生を賭けた転職がギャンブル「新聞」であってはならない”――と、ツマラナイ添削を加え苦笑いだ。
あの晩に見た焚火の祭は俺の「こころの武器」たりうるか――。
ブログ
最近のブログ
- 二十八年ぶりのメダル 2026/01/29 11:13
- ごく浅い主観と独善~いわき平記念観戦記 2026/01/25 17:11
- 本命の番手があるならよろこんで回る~いわき平記念決勝 2026/01/25 8:56
- 僕は途方に暮れない~大宮記念観戦記 2026/01/19 16:59
- 横断幕「こじまっち」 2026/01/18 13:39



















