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立川記念、その一

2015/01/06 8:44 閲覧数(1432)
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 昔の公営ギャンブル場はどこも凄い入場だったから、〈最終〉がはねると周辺は大混雑だった。警察官が信号機を止め、一時的に道路を一方通行規制したりして渋滞を捌いていた。当時、俺は警備会社の学生アルバイトで、多摩川競艇場の交通整理に借り出されたことが幾度かある。
 はじめて間近に競輪選手を見たのもそのバイトの派遣先の立川競輪場だった。冬の記念競輪の表彰式で尾崎雅彦(39期生)が賞状やらトロフィーを山ほど貰っていた。当方の責任者のS隊長が尾崎にオメデトウゴザイマスと声を掛けた光景を今でも薄っすらと想い出せる。まさか数年後に自分が競輪に病み付くようになるとは……。その時は露程も想像できなかった。違う勤務日の休憩時間、年配の警備員が競走を見ながら、葛西新蔵(33期生)の捲りは凄かったンだ。と誰かに云った「カサイシンゾウ」とい響きが如何にも競輪選手らしかった。後に競輪予想紙の仕事に就き、取材で実際葛西選手本人に接することになるのだが、まさにカサイシンゾウと記したくなる風貌の東北人が眼前に居た。俺は葛西新蔵選手のA級一斑(現在ならS級一班の中でも上位層)の時代を知らない。
 あの日から三十数年、信じがたい歳になっちまった俺だが、懲りもせず諦めもせず〈シネマ通り〉を立川競輪場へと歩いている。

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