半端な早起きの散歩途中にコンビニの珈琲を買い公園のベンチで飲んだ。金網のむこうのグランドでは親子のキャッチボール、後逸したボールをお父さんが追っかけると、冬枯れの芝に隠れていた軟球を見つけたらしく、元の位置に戻り、息子に何やら語りかけ、二球つづけて球を放って、互いに笑った。帰る際に父子は、三塁側のベンチの上に拾ったほうの軟球を置きグランドを去った。
俺が野球を始めた時代はグローブやバットはもちろん、球も高価だったから、野っぱらでボールを見つけたときなど大騒ぎだった。余談になるが、当時は町中を各家庭職場の便所から糞尿を汲み取ったバキューム・カーが走っており、その吸引ホースの先っちょには、蓋の代わりなのだろう、野球だか庭球のボールがぴたりくっついていたのを忘れないでいる。
その景が昭和四十年ごろだとして、俺がまだ言葉すら知らぬ競輪は誕生から二十年にも満たない「青年期」だったことになる。あれから半世紀以上が流れ、俺は還暦オーバー、競輪も「七十歳」をこえた。自分よりうんと「歳上」だとおもっていた競輪だが、じつは僅か十しか違わないことに最近やっと気づいた次第だ。
競輪発祥百年の年のある日の川崎競輪場を、齢九十の翁が車券を買うでもなくトボトボ歩いている――。そんな画はしごく想像に難い。
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