韓国プロ野球リーグが無観客で開幕したとテレビのニュースが伝え、すこしでも臨場感を味わいたいと球場附近の公園に陣取り、スマート・フォンで観戦する熱心なファンの映像を流していた。
我が家から川口オートレース場までは徒歩圏内であるから、おなじような観戦方法もまた乙かしら?……は只の戯れ言だ。
先日の天皇賞の空っぽのスタンドはやはり異様だった。去年の秋、高尾方面からの帰り、中央高速の車窓から偶然に見えた、大観衆に埋まる府中競馬場を想い出す。
何ヶ月か前に日本のプロ野球のオープン戦を一つ二つ見た。もちろん無観客のテレビ観戦だ。最初のうちは、普段客の声援に掻き消されてしまうグランド上の選手達の「声」……プロ・アマ・草野球共通のナイス! とかオーケー!……等々聞こえるものだから妙に楽しかったが、じきにもの足りなさのほうが勝るようになった。
観客の居ない大相撲の物珍しさも最初だけで、すぐに空虚が漂った。行司、審判、力士、控え力士、放送関係などなど……館内を動くのは関係者だけなのだ、ということが痛くわかってしまう画をいつしか敬遠する俺が居た。
どこかの昼間の競輪に参加した選手のコメントに……もうミッドナイト競輪を何回も走っているから、お客さんがいなくてもあまり気にならない……たしかに競輪界は無観客試合をすでに経験済みであった。選手を鼓舞する横断幕にもこころなしか活気がなく……バンク内の選手、係員、審判員……周囲の施設各所で立ち働く人達……総じて括れば全員「内輪」の競輪場を想像する。ずっと長いこと、観客という名の「他人」……関係者に非ず人々……が居てこその競輪があたりまえだった。一万人、三千人、五百人……人数にかかわらず、他人という証人が具わらない競輪から受ける違和感は、ある意味、決定的でもある。
京王線若葉台駅から車で十五分の墓所に友人が眠っている。奴の墓参はいつも京王閣競輪が開催している日を選び、帰りに何個レースか遊ぶのが常だが、それも今は叶わない。
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