松戸記念のテレビ中継に吉井秀仁氏が出演しているのを見て、ふっと四十年近く前の川崎(花月園だったかもしれない)競輪場の老女を思い出した。老女は私の五六人くらい前に立ち、まわりに吹聴するようにしゃべっていた。女も私も「最終」がはねた混雑する払い戻しの同列に並んでいる。一着は吉井選手の頭で八百円くらいの配当だったか(もちろん枠単)。「こんなところで吉井が負けるわけないだろう。吉井は強いんだから。あの中野(浩一)相手に逃げきっちゃうんだから――」と何回もくりかえしていた。誰も相槌など打った気配はないのに「なぁ、そうだろう、あたりまえだ――」声音も段々と太く禍々しいものになってゆく。そう記憶しているのだが、正確かどうかは自信がない。あやしい。山松ゆうきちの漫画に描かれる、阿佐田哲也の随筆に綴られる、競輪狂の女性が長年月の内にオーバー・ラップしてしまい、今の記憶に至っている可能性も否定できない。
昔は総じて払い戻しに時間がかかったけれど、酷かったのは競艇のフライング、多摩川競艇の最終で人気の二艇だか三艇がフライングを切った。ということは舟券のほとんどが百円戻しで生きている。通常はすった客からどんどん去って行く。それでも昔の混雑は並みじゃない。それがほとんどの客がそのまま払い戻しのために残るのである。あのときの多摩川がどのくらいの入場だったかはわからないけど、まぁ半端ない混雑、大仰に言えば混沌に近かった。
毎度毎度の昔話であるが、考えてみれば別に、競輪や競艇が特別だったわけじゃない。競輪場に一日居れば顔も服もすすけたようになったが、当時の電車、映画館、野球場だって似たようなもので、お世辞にも「衛生的」な空間ではなかったと思う。デパートの食堂だって日曜の昼時には「フライング二艇の競艇場」と変わらない。家族連れの客がわんさか押し寄せ、待ちくたびれた子供がテーブル席のまわりを駆け巡っていた。相席もあたりまえだったと思う。
映画館は煙草の煙でもうもうとしていた。
国会では議員が煙草を吸っていたような気もする。
ホテルの予約で喫煙禁煙を選ぶなんてこともなかった。
道を歩けば犬の糞がそこら中に放ってあった。
あれ、時代がのぼっているかしら。だいたい私は何の話がしたいのだろう。
ともかく老女は言ったのだ。吉井は中野に逃げきっちゃうくらい強いのだと。
ブログ
最近のブログ
- 突っ張り一択の戦法は眞杉匠-吉田拓矢には通じない~グランプリ2025観戦記 2025/12/30 19:11
- 九州別線から始まった~競輪グランプリ2025 2025/12/29 17:36
- 男子の並びが決まったら買いたくなったガールズグランプリ 2025/12/28 19:19
- 中四国作戦のようなもの~広島記念観戦記 2025/12/23 19:23
- 日本のごく一部で考察中~広島記念決勝 2025/12/22 20:40



















