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あれから、おれたちは――。

2022/07/14 23:31 閲覧数(489)
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 めずらしく朝から体調が良いので年下の友人Oにメールを打った。午前七時じゃ電話はできない。
「今日は仕事かい。」
 四時間後、Oから電話がかかってきた。
「仕事じゃなきゃ遊ぼうよ、大宮と戸田がやってる。」
「う~ん、戸田でもいいですか」
「もちろん、十分でむかえにいく」と言いながら二十分はかかった。
 それでもOの裏道ナビのおかげで四レースから舟券を買えた。
 コロナ対策により特別観覧席も隣どうしには座れない。左斜め上のOとの会話は妙な感じだが、すぐに慣れた、というかギャンブル場でそんなにしゃべることもない。
 戸田競艇場に最終までいたのは実にひさしぶりだ。大抵途中でパンクして帰ることが多いから。
 場を出るとけっこうな雨脚だった。傘のないおれたちはもらったうちわで顔をかばった。が、あんまり効果はなかった。駐車場の車までOは早足だ。おれはOに離されながら、ギャンブル場からの帰り道に雨という景に妙な既視感をおぼえていた。
 四十年近く前、おそらく京王閣競輪場の帰路だ。いや、多摩川競艇かもしれない。とにかく最寄り駅は大混雑で、ひと区間歩こうとなったのだと思う。てくてく歩いているうちにぽつぽつと来て、あれという間に本降りとなり、どこかの軒先にでも雨宿りしたのか、ずぶ濡れになりながら黙々と歩を進めたのか。
 雨の中を一緒に歩いたMにはおれが競輪を教えた。旅打ちに誘ったのもおれだ。が、一年後にはMからの誘いの方が多くなった。更に半年くらいたったころには、Mはひとりで遠方の競輪場まで行くようになった。そこから数年間のMのギャンブルは、おれの腰が引けてしまうくらい凄まじかった。
 Mの逸話は幾度も記しているので詳しくは触れないが、ふたつだけ。
 一、どうしてもMと連絡がとりたい。が、自宅の電話は出ない(むろん携帯電話などない時代だ)。そうだ。月刊競輪のページをくくり、記念競輪をやっている場を探し、代表番号に電話をかけ、「東京からお越しのM様。T様(おれのことだ)までご連絡ください」そんな旨の場内アナウンスを依頼した。二三十分後くらいだろうか、「よくわかったねぇ」とおれのところに電話が来た。
 二、静岡記念の上田浩(山梨・54期)の優勝だったか、万車券を一万とった、帰りの新幹線のトイレで吐いてしまった。と公衆電話から電話してきた。
 その前後だと記憶する。「T君、うちのMはいったいどうしちゃったんだ――」おれ宛にMの父親から息子の異変を憂慮する電話が入ったのは。
 Mは生来のギャンブル好きというタイプでは決してなかった。そのMが転がるように競輪に病みついていったのには理由があるのだが、今さら記しても詮ないことだ。
 ♪あれからぼくたちは/何かを信じてこれたかなぁ/夜空のむこうには/もう明日が待っている(スガシカオ『夜空ノムコウ』)――。この佳曲におれの心情を託すなどおこがましいにもほどがあるが、おれにとってこのフレーズは万能で、等しく、せつなくなれる。
 
 
 
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