理由はないのだけど――こじつけるならないわけでもないのだけれども――ずっとストーンズを聞いていなかった。何の拍子か無性に、ストーンズのファースト・アルバムが聞きたくなり朝から割と大きめの音量で流しつづけている。ブルースとロックンロールのカバーが大半を占める当盤を最初に聞いた時はぴんとこなかった。十代のガキにはその渋さはわからず、ちょっと地味だな、の感想だった。しかし数年後、鮎川誠が「激奨」しているのに押されて、再びレコードに針を落としたときから私の愛聴盤となった。
昔のロックンロールに、ブルースに、やっぱり此処が原点だ、などとわかったようなことをつぶやく。ふとチャック・ベリーの「キャロル」のイントロをチャボ(仲井戸麗市)が新宿の花園神社の階段に座りながら女の子の前で披露したという話を思い出した。黄金のリフはロックンロールの基本中の基本である。
私にとって競輪の一番のおどろきは、競輪は選手と選手が意図的に並ぶということだった。今もって競輪の最大特徴は、基本は、「並ぶ」ということ、という考えに変わりはない。でもあまりにマークが千切れる競輪が増えたため、いつしか私も筋より筋違いなンて言葉をしょっちゅう使うようになった。
昨日の伊東の初日、原田研太朗の捲り一発だと筋を切って数点流したらきれいな捲り・マークであった。最終の寺崎浩平-古性優作の捲り・マークなど、むかしの私なら、息を殺して打っていたのじゃなかろうか、このレース一銭も買っていないくせに、さびしい気分がおこった。
先日の小倉FⅠのA級決勝にもS級決勝にも、やっぱり競輪は地元だな、気迫だな、と痛感させられた。最近のおれは地元三割増しなどと記しながらも、結局数字に負け地元軽視の車券でやられている。ストーンズのファーストを聴きながら、原点のアルバムを聞きながら、競輪の原点を再認識した心地になる。
附記。前述の小倉のS級決勝に乗った阿部英斗(福岡・125期)の豪気に胸がおどった。準決の一着も決勝の三着も、そうそうこれこれ、これが競輪よ、という競輪だった。
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