――まるっきり当たらない、と、俺がぼやいていると、よく先輩のMさんに小言を貰ったものだ。――こういう商売(予想紙の記者)しているんだから、はずれたはずれたと人前であまり言うな。十年二十年、もっと前の話だ。
以来、その言いつけは常に頭の中にあるのだが、勝っても負けても泰然と構える――そんな人間にはなれそうもない。
Mさんは上着のポケットの中の車券がどうあれ、客の前で平然と当たったふりが出来る演技派であった。そして大勝ちしても仲間内にさとられない――そんなしたたかさも併せ持っていた。
しかし、当たらない。
はずれがつづくと、割方得意のかたちの車券が出ても、理由もない捻くりの所為で手の内からこぼれてしまい、傷口はどんどんひろがり、気がついてみると、己のギャンブルの型の範疇外である、とんでもない穴選手から流していたりする。
昭和期には「巨人・大鵬・卵焼」なる流説があった。大概の子どもが好きだと答える「プロ球団、力士、総菜」を羅列したものだが、俺はそのまんま「通り」のガキだった。
最近は野球を熱心に観ることはなくなったが、それでも、たまのテレビ観戦で応援するのは巨人とヤンキースであるから、巨人大鵬卵焼の流れを汲む気質は変わっていない。
考えてみれば競輪や競馬も結局最後は◎だった。ただ、◎○の二百円を打つ弾も度胸もないから、オッズと睨めっこしながら、ちょっとずれたところ、もしくは裏目をエイヤッと買う。もちろんそれだけじゃぁないが、根っこのところは変わっていない。というか変われないみたいだ。だからといって四十年来の一本調子に箔がつくこともないのだが。
この三日間車券を買っていない(正確にはオート・レースの車券はちょっとだけ買った)。ギャンブルをやらなくなると、ズボンのポケットにあった万札が一週間たってもそのまま残っている……正確な文章を今記せないが、阿佐田哲也さんのエッセイにそんな一文があった。
明日から前橋で寛仁親王牌だ。この四日間も「見」出来たら、その先に何かあるかしら――。陳腐な冗談を吐いてみる。いずれにしても「欠場明け」は慎重を期さねばならない。そう、その冬一番最初のスノボーはリフトの乗降から緊張したようにね。
ちなみに予想紙の事故欄風に記せば〈竹林一彦・三日間欠場は胃腸炎のため・練習日数は零日〉、どうにも「扱い」が難しい欠場理由である。
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