十年前、大震災の爪痕癒えぬなか、懊悩の末に開催がきまった西武園記念競輪の決勝の模様はよく憶えている。前年、前々年と優勝を飾っていた平原康多(埼玉・87期)の地元記念三連覇が各紙で大きく扱われ、長塚智広(茨城・81期)-平原-飯嶋則之(栃木・81期)と関東トリオの磐石さも相俟って、平原から差しとズブズブがばんばん売れていたのだが、何の拍子か長塚は予想外の捌く競走となり、長塚-平原とそのまま入って所謂裏目なるも、私にとってはかなり想像しにくい結末であった。
翌年は又もや一番人気を背負った平原の雪辱戦。武田豊樹(茨城・88期)-本人-宗景祐樹(栃木・84期)と似たような布陣(奇しくも前年とおなじ茨城-埼玉-栃木の連携だ)で臨んだものの、武田が終向で捲ったはいいが、平原は三角附近で中村浩士(千葉・79期)のブロックに遭い中バンクを泳ぐ羽目に。あの瞬間の場内のどよめきたるや……といきおいで記したが、音像が耳に残っているわけではない。
萩原孝之(静岡・80期)が優勝した翌々年も記憶に濃い。勝ちあがりの妙で村上義弘の番手に萩原となり◎○、裏目二千両のオッズに惹かれ、無理は承知で差しから買ったら、なんと村上先行でスンナリのハコだ。(よしよし、こりゃ出るかも――)四角をまわって「差しちゃえ、差せ!」と声に出したら、萩原君はそのとおりになったが村上様が四着まで沈んだ。自分で自分がガクンと落ちたのがわかるほど脱力した。
さてさて、徒然に西武園記念の記憶をたどっているうちに最終で平原が負けてしまった。しかし、懐かしく前述した村上と萩原の両名はしっかり決勝に駒を進めている。冗談口で村上=萩原の表裏と呟いてはみるものも、駄目駄目、そんな愚行をしようものなら当分競輪の神様からそっぽを向かれてしまう(実際もう向かれているに近い?)。
強い弱いの紋切型口調はなるたけ避けたいものの、こと今の町田太我には唯々つえーの一言しかない。町田から誰を買おう? 第一感はマークの園田匠じゃない車券。これはすっと出た。が、あとは堂々めぐりでまるで湧いてこない。
沈思黙考………………………………。
懊悩呻吟………………………………。
挙げ句の果てに町田から村上と萩原じゃァ、やはり競輪神から呆れられること必定でありましょう。
二〇二一年の〈西武園記念〉は「二車単の⑧⑥と⑧⑦」「二枠単の六-五」を買います。
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