ラジオのしゃべり手とテレビのしゃべり手との違いを故永六輔氏が記していた。話術の差を嘆いていた。
子供の頃、親父に連れられて後楽園球場や神宮球場に行くと、けっこうな数の人が観戦しながら、AM局の野球中継を、携帯ラジオに繋げたイヤフォンから聞いていた。それが子供心にかっこよく映り真似をした。なんのことはない。親父の鞄の中にも一式、入っていた。きっと俺と一緒じゃないときは、親父もラジオ片手のプロ野球観戦だったのだろう。親父はひいきの球団を持たないアンチ巨人で俺は巨人ファンだった。親父が死ぬ前日の晩も、二人で巨人戦を家のテレビで見ていた。
仕事中の車を路肩に止め、カー・ラジオの音量をちょっと上げ、すこしだけ耳をかたむけ、競馬の大レースの実況を聞く。特別競輪決勝の中継を聞く。あの昂揚。至幸の時間であった。
樋口さんの名実況がなつかしい。赤板~打鐘~終審~終向~四角。画がなくとも、場面場面が伝わる、見事な競輪実況であった。
画がなきゃ到底わからない(下手すりゃ画とも異なる)実況をたまに聞くと、なんがかなあと思う。政治の解説者も競輪の解説者も、身ぶり手ぶりがやたら多いひとに限って、内容にとぼしいこと多々。と、記せば、アンタも似たようなものだ、そう返されるのが落ちだろうけど。
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