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八月終わりの新宿

2017/09/01 9:25 閲覧数(731)
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 八月末日の夜の新宿。場所はレッドクロス。ザ・プライベーツのワンマン・ライヴは冒頭曲からショーネン(リード・ギター)のアンプがぶっ壊れた。無音のVOXの前で慌てるショーネンとスタッフを横目に、他の三人はボ・ディドリー・ビートを笑顔で刻みながら曲は絶対に止めない。ヴォーカル&ギターの延原は絶妙なカッティングに冗談を交えながら観客を誘導する。まさにプロフェッショナルだ。テレビの前で不機嫌を平気で晒す競輪選手の誰かや誰かとは大違いだ。
 もう十年十五年前だろうか。川崎クラブ・チッタでハリーが客の野次に怒り「今日はもうやめだ!」とステージを降りてしまった。「誰だよオ!」「下らねえこと言ってんじゃねえよ!」「ハリー」「ハリ~イ~」場内は騒然となった。十分か十五分後、再登場したハリーが照れくさそうに「――いいかげん俺も卒業しなきゃな」とぼそり呟いたあとのロックンロールは凄まじかった。
 取材中に選手の喧嘩や怒りを目撃することは競輪記者の役得である。そしてその出現率は今より俺が現場に出ていた昔の方が高かったように思う。
 半端な自在選手にイン粘りをされた生粋のマーク屋が厳しく寄せて番手死守。競りの技術が違うよーー。身の程知らない奴だ――。某への賛辞と自在屋への叱責が続くが、寸チョンには皆が驚いた。年間二三勝、典型的な流れ込み選手の頭なのだから。舐められた怒りがパワーと化したのだ。と、俺は得意げに持論をぶつ。
 俺の腰と脚は二時間近くのスタンディングで限界だから、本編だけ見てレッドクロスの階段を上がった。これから予定調和のアンコールとなるのだろう。
 昔のロック・バンドは不良ばかりだった。ライヴの演奏時間も短かったし、アンコールだって気が乗らなきゃ出てこなかった。昔のライヴハウスには端っこで酔いつぶれている奴はいるは、客同士で小競り合いはあるは、バンドもおっかないやで緊張が抜けなかった。それは競輪場もおなじで、妖怪ランドみたいな奇妙さと怖さがあった。客の野次は容赦なく、最終で負けた本命には無数の新聞が投げつけられた。今では落車した選手が自転車を引き摺りながらゴールすると拍手が起きるが、それすら強烈に詰られていたと記憶する。
 ここまで冗長に記して、ようは俺が昔の映画が忘れられないだけの話ではないかと気づき、恥ずかしくなったので笑止。

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