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なんとも稲川らしいなと思った最終四角~親王牌決勝後記

2022/10/23 18:37 閲覧数(335)
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 吉田拓矢-平原康多は迷わず正攻法を選んだ(やっぱり吉田が獲りに行くレースだ。吉田の早逃げはなし。平原を買っていないのでちょっと安心?)。松浦悠士-井上昌己がそのうしろ(松浦はとりあえず何とかできる位置)。だけど待てよ(これだと新田祐大か古性優作の先行? 古性が逃げちゃうとまずいなぁ……)。新田が押さえた上を更に古性が押さえた。吉田は松浦にすくわれて八番手まで下げる(あれあれ叩くしかなくなった……)。打鐘附近、古性の「先行も辞さない腹の括り具合」と、新田の「十八番のカマシ捲り態勢準備」と、吉田の「とにかく八番手じゃ話にならない」。三人の異なる思惑が三人の加速の差となってあらわれ、残り一周は古性-稲川翔-吉田-平原―新田-小松崎大地-守澤太志で松浦-井上が新田-小松崎の外に上がり締め込む。この時点で新田-小松崎は正直終わったと思った。守澤は見切りを付けて大外に車を回している(それはいいけど肝腎の古性が……吉田に捲られちゃう? イナショーの優勝? どっちも持ってないぜ)。四角、吉田の捲りを稲川がブロック、空いた内を松浦がすくった(古性=松浦の車券が生き返った!?)。が更にその内を九番車、大外には「びゅん」と三番車だ。衰えた私の動体視力ではなかなか「整理」がつかなかった。
 昨日記した、古性>松浦>守澤……の陳腐なる式はまるで役に立たず。反省がてらに則って計れば、新田<守澤<松浦と真逆を提示していたことになる。
 話はずれるが『競輪上人行状記』(1963年・西村昭五郎監督作品)の一景に、渡辺美佐子扮する競輪狂の女性が、自分のからだを紐で椅子に縛り付けてくれ、そうしないと勝負レースが来るまで我慢できず、いらないレースに手を出してしまうから。そんな描写がある。
 大レースの最終日は、からだを縛り付けてでも決勝まで待つ。なんとことは私にはないが、狙い目でもなく、むしろ難問に近いのを承知で、最終に資金を残そうとするのは性というか、やっぱり強いやつらの闘いにより沢山の金を賭したいわけだ。
 何の気なしに本日の結果一覧を開き、十レースの成田和也のところを打たなきゃいかん、などとつぶやくギャンブラーの風上に置けない自分がいる。
 無駄話はさておき決勝戦の最終四角、あそこでガツンとブロックを放てる稲川翔には「なんとも稲川らしいな」と思い、感心する次第である。
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