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人形は顔がいのち、競輪は展開がいのち

2019/04/03 17:37 閲覧数(500)
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 老舗人形屋さんのCМのキャッチ・コピーとして知れ渡る“人形は顔がいのち”には、原典みたいなものがあるのかしら――。
 “人形は顔がいのち、競輪は展開がいのち”と洒落たのは田中誠さんの漫画『ギャンブルレーサー』の登場人物だったか。
 S(スタート飛び出し正攻法)をとったマーク屋が一車下げ・もう一車下げ、◎〇の三番手並走を選択すると、近くの何人かが出来たと呟く。トップ引きが最終二角までピッチを上げ大楽の「逃げ・マーク」車券は二百幾らだったか。「S権利」の行使が番手か三番手かで客の意見が割れた大昔の競輪が懐かしい。
 男子の競輪はもちろんのこと、ガールズケイリンだって勝負の肝要は展開で、最終バック手前から約半周のダイジェスト映像だけでは味気なく、「道中」あっての競輪だろうと憤ることになる(最近はそんな愚かな編集もほぼ絶滅しているとおもうけど)。
 昔の競輪と今の競輪を較べた場合、先行屋・マーク屋・自在屋の比率の変化は瞭かで、専らマークという選手の数は減り、逆に増えているのは一概にスタイルを掴みがたい自在選手の数なのだろう。ま、大ギヤ競輪の時代に、しかも先行という戦法に辛い現在の競走形態をふまえれば、競りより自在が得策は至極当然であろうから文句などないが、それでもたま~に異種の競輪というか、固陋の俺には最早ツイテイケナイ新種を掴まされると、ギヴアップを宣したくもなる。展開がいのちではない競輪と記せば、それも展開ですよとクールに返されるのが落ちか。
 話は飛ぶが、小林優香と俺のある共通項を最近知って、ちょっと嬉しくなった次第である――。
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