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高原永伍さんの思い出

2024/02/23 10:21 閲覧数(441)
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高原永伍さんが亡くなった。

その偉大な功績等についてはスポーツ新聞等のメディアで紹介されると思いますので、本ブログでは、高原選手のレースを金網越しに見たことのある競輪ファンのひとりとしての思い出を語りたい。

まぁ思い出を語ると言っても、僕が競輪を始めたのは昭和の終わりからで、高原永伍さんの選手としては晩年の時期であり、上位で活躍していた頃の話は先輩方からの茶飲み話として聞いただけであるが、それらの先輩方からは「逃げの神様」、「高原オッズ」等の言葉が熱く語られたのを覚えています。

おそらく僕が高原選手のレースを見たのは2回だけ。

1回目は千葉競輪(昔の500バンク)だったと思う。
当該レースの出走表でひとりだけ年齢の高い選手が居て、それが高原選手だった。
一緒に行っていた先輩(40代)に「ひとりだけオッサンが居ますね」と聞くと『お前、永伍を知らないのか?』と呆れたように言われた。
高原選手はそのレースではあまり見せ場も無く下位着で終ったと記憶しているが、競輪帰りの反省会と称する飲み会の席で、もうひとり一緒に行っていた先輩(50代)に『高原選手がいかに凄かったか』を滔々と聞かされました。

2回目は取手競輪。
午前中のレースだったのでB級(現在のA3班相当)戦だったと思うが、「赤競」で『注』程度の人気だった高原選手が、あれよあれよと言う間に逃げ切り勝ち。
ゴールした瞬間、それまでザワザワしていたスタンドから大歓声が上がり、ゴール後の流し周回では、スタンドのそこかしこから、「いいぞ!永伍」、「やったぞ!永伍」、「永伍ありがとう!」の声援が送られていた。
高原選手の絶頂期を知らない僕は「高原選手ってこんなにお客さんに愛されていたんだ」と驚きながら、ただただその光景を眺めているだけでした。

以上は、記録を見ると、高原選手は1994年(平成6年)に引退とのことですので、もう30年以上も前の話です。

競輪に革命(早逃げ)を起こし、多くのファンから愛され、引退後は競輪学校の名誉教諭として後進の指導に尽力された高原永伍さん逝去の報に触れ、ちょっとだけ思い出話をしてみました。

高原永伍さんのご冥福をお祈りいたします。

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