ふるさとダービーの伊東競輪だから十五年以上前の話だ。
温泉場の夜を冷やかしていると見覚えのある後ろ姿が。露店の射的場で必死に体を乗り出し玩具のライフルの照準を絞るF先輩だった。その場で声を掛けるのを躊躇った俺が翌日記者席で目撃したことを告げると、見られちゃったのかいと照れた。
二十五年前のJR飯田橋駅の改札、切符を買いに走ったFさんは新入社員の俺に言った。オレは〈定期〉を持たないンだと。いつ麻雀の誘いがあるかわからない、場が立てば大概は徹夜になるからな。理由がアウトローぽく驚いたのだが、このF先輩がまア滅茶苦茶で笑わせてくれる男だったのである。その「勲章話」は枚挙にいとまなしなのだが、ほんの触りだけ。
その一。スピード・スケートから競輪に転身した武田豊樹のデビューということで、立川競輪場には新聞雑誌テレビとたくさんのマスコミが集まった。検車場に隣接している記者の控え室の窓際に荻原健司氏が座っていた。当時は日本テレビのスポーツ番組のコメンテーターだったはずだ。元五輪選手が元五輪選手を取材する。そんな構成を誰もが想像した。従業員の女性がサインを求めると荻原氏は気さくに応じていた。部屋は平生とは違う華やぎに包まれたていたのだが、Fさんの登場により一変する。遅ればせながら入室のFさんはつかつかと萩原氏に歩み寄り、君はいったい誰だい? 狼狽する氏は名刺を出して自己紹介したのだったか。俺は可笑しくて可笑しくて……、堪えるのに必死だった。頃合を見てノルディックスキーの花形だった荻原健二を説明したのだが、ふうん、オイラはほとんどテレビ見ないからなァといたって淡泊な反応だった。
その二。Fさんはムード歌謡を唄わせれば玄人ハダシの低音美声だった。電話のレース実況をやらせてもよく通る発声で流麗なのだが、如何せんゴール到着が不正確なのだ。「一番の逃げ切りで五番に九番」と自信満々なのだが確定は五、九の順だったりした。
あれは旧い五百バンクの西武園だ。記者席の直前を選手一団が通り過ぎ、ちょっと右に寄ったところがゴール線だった。俺の眼には瞭かにズブズブに見えた。番手から逃げ残りを買っていた俺は肩を落とし、二-三まで行っちゃってますよねと落胆する。するとFさんが言ったのだ。大丈夫だよ残ってる、ヘタしたら逃げ切りまであるんじゃないか。藁にも縋るとはこのことだろう。冷静沈着な「お言葉」に俺は期待してしまったわけだ。ほんとですかFさん、よしッ。ほんの一瞬だけ俺の車券は息を吹き返したのが……。話の落ちは記すまでもなかろう。俺の見た目が正解だった。ふうむ、オカシイナ……、変わらぬ声のトーンでFさんが言った。
たまに競艇のテレビ中継を点けると画面の中央で荻原健司が喋っている。氏は立川競輪場で遭ったFさんを憶えているだろうか。
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