二十歳台後半の数年間、日参とは言わないが、週に三四日は競輪場に通った。仕事は午前中の簡単なバイトだけだったから周りには迷惑をかけた。競輪一途のアウトロー気どりは二年が限界で、三年目には屈託だらけの俺がいた。しくしく痛む胃部を布団に圧しつけて寝る毎日となった。が、翌日競輪場の門をくぐると鈍痛はうそのように消えるのだ。場内の「お馴染み」たちに混じると、「執行猶予」の安堵を俺は得るのだった。競輪場は俺のセラピストだった。
家人に説諭されたのは小型自動車の車内で、場所は住居の集合住宅から車で五六分ほど行った「東京天使病院」近くの空き地だった。眼前には某省庁が管理する研究用の植物栽培地があった。エンジンを切り窓を開けると風にそよぐ草木の音が聞こえた。
翌々日、俺は三通の履歴書を書き、それぞれに独善的な紹介分を添えて「黒競」「赤競」「青競」に郵送した。一週間後、そのうちの一社から面接に応じると連絡があった。運よく拾われた俺は喜んだが、「安全地帯」に退いたうしろめたさがなかったわけじゃない。
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