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競輪自分史その4

2019/02/24 8:35 閲覧数(557)
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西宮に転勤した私は毎日垂水駅からJRで通勤していた。垂水はほとんど明石なので、ほとんど大阪の西宮までは結構遠かった。
さて、当時、西宮には西宮競輪と甲子園競輪の2つがあった。西宮競輪は阪急電鉄、甲子園競輪は阪神電鉄が最寄駅だったので、三ノ宮駅で乗り換えて行くのだった。
初めての近畿地区の競輪場で何点か衝撃を受けた。まず、予想紙だが、ダービーと競輪研究があった。それが横書きだった。縦書きが当然と思っていたので軽いカルチャーショックを受けた。次に選手の能力値評価として『原子力』という物騒な言葉が使われていた。更に肺活量の表示もあったが、私は肺活量は予想の参考にはしなかった。今でもこれは良かったと思っているのは選手紹介欄で『今節の優勝候補』とか対抗、争覇級、優出級、1勝級等々があり選手に対するコメントも付されていた。また、食べ物ではモツが関東と違い串刺しのブロック片であることに驚いた。なんといっても一番驚いたことは西宮競輪の走路が組立式だったことで、阪急ブレーブスが本拠地にしていた西宮球場の中に設置するのだが、333㍍走路ということもあり観戦が大変不自由で走路全体を見渡せる場所をとうとう探すことはできなかった。→続く
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コメント(1)

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イナズマナデシコ

ぎりぎりの記憶ですが、明石も競輪場があったような気がします。家に競輪場一覧があって載っていたと思います。ただ、確実ではないです。
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