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さようなら平原康多

2025/05/23 23:00 閲覧数(376)
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今日の未明にいつものようにNEXT東京支部を更新して、Twitter等に更新しようとしていた時にこのニュースを知りました。
正直な話になるですが、まさかこのタイミングで引退する事になるとはと一瞬思いました。
自分は東京に住んでいますが、埼玉というのはお隣りという事になります。
競輪のラインでも埼京ラインという事があって、東京と埼玉の選手はいつも連携をしています。
そういう関係もあるので、今回の件はかなり驚いています。
このブログを書いているGambooがスタートしたのは2009年なんですが、奇しくも平原康多の最初のGI制覇というのはこの年の高松宮記念杯競輪という事になりました。
その前にも2006年のふるさとダービー富山でも優勝していますが、やはりGI制覇というのはG2を取るよりも嬉しい所はあるだろうね。
その年は二回あった競輪祭の秋の方を取って、翌年も宮杯を連覇する事になります。
しかし2011年と12年は低調な成績となって、SSから外れる事になります。
考えてみると、二年以上SSから落ちていたというのは2009年に初めてSSになって以降では唯一だったか。
そして、2013年は松山での全日本選抜競輪で二年九か月ぶりのGI制覇を決める事になります。
ちょうど決勝戦が行われた2月11日というと、東京出身で同期だった内田慶の誕生日だったはず。
思い出すと、内田慶が亡くなった年に初めてKEIRINグランプリ08に出場していた訳である。
翌年2014年はまた競輪祭を優勝しているですが、結構平原の場合は競輪祭でGP出場を決めるようなイメージがあるだよね。
2015年は無冠に終わりますが、初めて自分が現地で平原康多を見たのはその年の三月に京王閣で行われた日本選手権競輪だったはず。
この時は新田祐大と浅井康太と大接戦で、惜しくも準優勝だったかな。
2016年は苦しんだ時期もありましたが、競輪祭を取ってしっかりグランプリに乗ってきました。
今を考えると、二年連続でグランプリの一番人気だっただよね。
2017年は、取手の全日本選抜を優勝する事になります。
関東ワンツーだったな。
2018年はG2の優勝はありましたが、三年ぶりにGIを取れませんでしたね。
この後二年間はグランプリ出場以外は何もなかったですが、2021年の弥彦寛仁親王牌で四年ぶりのGIを取る事になりました。
確か諸橋愛から勝負して、落車して切れた覚えがあるけれど。
しかし2022年以降は調子を良くなったと思ったら落車する等で、安定した成績を出せなくなります。
そして2023年は一年間苦しんで、11年ぶりにグランプリ出場を逃す事になります。
結果的に、埼京勢が12年ぶりに誰も乗れなかったKEIRINグランプリという事になります。
それでも競輪の神様は見放していなかったのか分かりませんが、2024年はいわき平での日本選手権競輪を遂に制する事になりました。
結果的にこの優勝が最後の優勝でしたが、感動的なシーンではありました。
当然その後も走っていましたが、なかなか成績は上がらない状態でした。
そして、今月行われた名古屋での日本選手権競輪最終日が最後のレースという事になりました。
まだショックはあるですが、本人にとっては今の成績というのは納得出来なかっただろうね。
今後はまだ未定らしいですが、個人的には競輪界に引き続き関わって欲しいね。
平原康多選手、本当に現役生活お疲れ様でした。
写真説明
1 2015年のKEIRINグランプリ2015なんですが、これは初日の開会式での挨拶の所です。
2 なかなか勝てなかった京王閣を記念完全Vで攻略した2018年の京王閣記念の優勝インタビュー。
3 結果的に、自分が唯一特別競輪制覇を目の前で見た2017年の取手全日本選抜競輪での優勝インタビュー。
お知らせ
急いで書いたので、また修正すると思います。
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