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追悼 片平巧 平成のオート界を支えたセアの申し子

2015/05/23 2:10 閲覧数(2668)
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まだ亡くなった事が信じられない。
そう思う人も多いのであろう。
しかし、亡くなってしまったのは、現実である。
2015年5月20日 船橋オートの選手片平巧はこの世を去ってしまった。
ここに、片平巧の人生を書いていこうと思う。
なお、特別競走等は全部今のGIやSGと書いていきます。
1965年6月14日に、埼玉県川口市で生まれた。
しかし、川口オートは片平を採らないで、船橋オートが獲得する。
85年にデビューを迎える。
87年の5月に行われたささんか杯今のささんかカップを優勝して、初めてのG2を制した。
翌年7月には、黒潮杯を制して初のGIを取る。
まさか、27年後の黒潮杯が片平にとって人生最後のレースになってしまうなんで思わない。
90年の山陽オートで行われた、日本選手権オートレースを制して初のSGを掴んだ。
それも完全優勝で。
翌年には、今は廃止されている全国地区対抗戦オートレースのA級優勝戦を制した。
廃止されるまでに片平は5回制している。
この後、ややスランプに入るが、93年に片平巧にとってターニングポイントがやってきた。
セアの一斉乗り換えである。
早速乗り換えた片平は、オート祭こそ優勝を逃すが、11月の日本選手権オートレースで優勝する。
この優勝から、片平は岩田行雄や島田信広と共に船橋最強軍団を作り上げる。
94年には、日本選手権の連覇、GI・G23つずつ7個のタイトルを制し、年間全場グレードレース制覇を達成した。
まさに、空前絶後の記録でしょう。
この年に、初めて最優秀選手賞を獲得しました。
翌年は、悲願のスーパースター王座決定戦を制します。
島田信広が落車したから、あんまり喜べない優勝ですけど。
この年は、オールスターオートレースも制しました。
96年は、全日本選抜オートレースを制し、スーパースターとオールスターを連覇します。
97年は、10Mハンデがあったのに、スーパースター3連覇を決めます。
まさに、全盛期の片平巧らしいレースでした。
この年は、第1回東西チャンピオンカップの初代ウイナーになります。
98年は、節目の年になります。
3月に、スーパースター4連覇。
10月に、悲願の船橋オート祭制覇。
12月に、オートレースグランプリ制覇。
このグランプリの優勝で、史上初のSG6冠グランドスラムを達成します。
現在では、もう達成することが出来ません。
しかし、この優勝からSGが取れなくなります。
次に取ったのは、世紀末2000年のオートレースグランプリ。
浦田信輔を最後の4角手前で捕らえて優勝する。
世紀が変わり21世紀になる。
しかし、片平は強いレースを見せていく。
スーパースター、最後の最後で捕らえてスーパースター5回目の制覇。
全日本選抜、2回目のSG3連覇。
しかし、片平巧のSG制覇はこれで終わりになる。
浦田が、グランプリでぎりぎり片平を押し切ってから、何か変わった。
しかし、それでも片平は諦めない。
2007年、オート名匠戦で6年振りにグレードレースを制して、11月の日本選手権の優勝戦にいたのである。
優勝は出来なかったが、これだけでも凄い。
09年の4月に1000勝を達成。
翌年10月4日に、オーバルチャンピオンカップを制したのが、最後の優勝になった。
最後の勝利は、ヨコポンの息子の誕生日当日2015年3月24日。
最後の走りは、2015年5月10日。
亡くなったのは、2015年5月20日。私病。
本当にありがとう片平巧。
今は安らかにお眠りください。
片平巧選手のご冥福をお祈りいたします。


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