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神山雄一郎の引退記者会見に思う。。

2024/12/31 12:21 閲覧数(251)
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競輪グランプリ前の12月24日付けで神山雄一郎が引退記者会見をした。

点数的には来期A級降格は確定していたようだが、結果的にはS級選手のままで引退となった。当然、そうして欲しいとは思っていた。

会見の中ほどで、『思い出に残る選手は?』の問いかけがあったところから、もう、これまでの選手生活の思いが噴き出したのだろう。嗚咽とも言える感情、情念だった。。
61期のスーパーエリートともてはやされていた神山雄一郎を粉々に打ち砕いた4期後輩の65期の吉岡稔真が彗星の如く現れて約2年間は時代を完全凌駕した。
その最たるレースが神山本人がレース後に茫然として語っていた1992年の競輪グランプリだろう。。『最終BSで出切ったときに内心、優勝したと思った。』その上を超絶な速度で捲って行った吉岡稔真を目の当たりにして、『とてもではないが、今のままの実力ではどう見ても彼には勝てっこない。』と悟ったらしい。そのとき神山自身も立派な3着だったと言うのに。。
スーパーエリートも粉砕された後に、練習のときには常に『吉岡の練習はこんなものではないはず。もっともっと!!』と励んだと言う。結果的に吉岡にはないスプリント力と横の強さも先行力も格段にアップして一旦は完全に実力も逆転したのがみんなの目で判断出来たのが、吉岡稔真の庭でもある1996年小倉競輪祭だろう。。先行した吉岡をBS6番手あたりから切れ味鋭く捲って破った。1着・神山、2着・吉岡、3着・紫原。まだ小倉ドーム前の青空競輪場の時代で、辛酸なめてきた時代を経て、『吉岡の先行を1車身差つけて捲って勝ったぞ!どんなもんだい!』とレース後の表彰台の一番上の神山の顔が語っていた。一方、下の台の吉岡の苦虫を噛み潰したような厳しい顔は今も忘れられない。
稀代のライバル同士だろう。

特別競輪優勝11回GP2回の13回の吉岡に対して、GPは勝てなかったものの今後も破られないだろう16回優勝の神山雄一郎。
長い期間で極めて強く凄い選手でいられたのは、記者会見で嗚咽しながら吐露した吉岡稔真の存在そのものだったのだと思った。
超絶な吉岡稔真ファンだった私だが、滝澤VS中野、井上時代に競輪を始めて、それ以上のライバル同士が切磋琢磨して興奮させてくれた時代の真ん中で競輪出来たことに感謝せずにいられない。そして、今、好漢・神山雄一郎に感謝。

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