2015年8月6日
競輪界にとっては、信じられないニュースが飛び込んできた。
「競輪選手の児玉広志が死亡」
まさかと言うしかない記事であった。
このコラムでは、児玉広志の競輪人生を振り返ります。
児玉広志は、1969年5月31日に香川県小豆島で生まれました。
高松第一高校から、競輪学校入りします。
90年8月9日の西武園で、デビュー戦初勝利で鮮やかなデビューを飾りました。
このシリーズで、デビュー初優勝を達成します。
翌年には、地元高松でA級初優勝をします。
さらに翌年には、やっぱり地元高松でS級初優勝を決めました。
そういえば、KEIRIN.JPの初勝利・初優勝の所は、特別以外全部西武園か高松ですね。
92年には、当時あった競輪祭新人戦を制しました。
この時破ったのは、2着の海田和裕や、3着の後閑信一がいます。
この時から、児玉は他のラインに入っていくようなレースをして行きました。
当時の四国勢は、弱かった事もありますが、思い切った走りをしていました。
現在では、こういう事は普通に行われています。
その始めが、児玉広志だったわけです。
なかなかGIは取れませんでしたが、96年岐阜オールスターで初めてGIを取りました。
神山雄一郎や山田裕仁を破って、悲願の初GIでした。
そのあと、翌年97年にいわき平全日本選抜競輪を取ってGI2勝目です。
99年には、前橋寛仁親王牌を勝ちます。
そして2000年を迎えます。
10月には、高知オールスターを制し、4年振りのオールスター制覇でした。
そして12月30日、KEIRINグランプリ2000を迎えます。
6年連続出場だった児玉自身は、燃えていました。
前年は、太田真一の前に惜しい2着でした。
しかも、そのうち2回は落車していました。
今年こそ絶対取る!
そんな気持ちだったでしょう。
34358人が入った立川バンクを走った児玉は、中部3番手からレースをしました。
そして直線で、山田を交わしてゴールイン!
見事グランプリ制覇を達成しました。
レース後のインタビューでは、「ボカが多かったですけれど、大変申し訳なかったけれど、これで許してください。」と言っていました。
しかし、翌年は8回も落車する事があって、ビークを過ぎてしまいました。
晩年は、完全に追い込みに転向していました。
そして、今年6月5日青森初日特選で落車棄権したのが、最後のレースになりました。
7月には、逮捕されて、事実上斡旋停止をぐらいました。
そして、死亡のニュースが流れて来てしまいました。
46年の競輪人生でした。
四国の忍者、四国の落車王と言われた児玉広志。
しかし、天国にいってしまいました。
本当に、残念なりません。
まだ生きてほしかった。
自分は思っています。
児玉広志選手のご冥福をお祈りします。
ブログ
最近のブログ
- ガールズグランプリ2025 2025/12/29 0:00
- ヤンググランプリ2025 2025/12/28 0:00
- NEXT東京支部 20251227 データ&枠番からGGP2025を考える 2025/12/27 0:00
- KEIRINグランプリ2025シリーズ売上予想 目標145億 2025/12/26 23:35
- NEXT東京支部 20251226 あれだけ決勝戦乗っていたのに、ようやくS級初優勝。 2025/12/26 0:00
追悼 さようなら児玉広志
2015/08/07 1:08 閲覧数(5946)コメント(0)

投稿する
※コメント投稿後は編集・削除が行えません。投稿前に内容をよくご確認ください。
※コメントは承認制の場合があります。管理側で内容を確認するため、反映に時間がかかる場合があります。
Gambooでは、人が嫌がるような発言、著作者の許諾のない文章の投稿、公序良俗に反する投稿等を禁止させていただいております。禁止行為が確認された場合、予告なく削除、コミュニティ機能の利用制限、退会等の処理をさせていただくことがありますのであらかじめご了承ください。
コミュニティのご利用ガイドライン
※コメントは承認制の場合があります。管理側で内容を確認するため、反映に時間がかかる場合があります。
Gambooでは、人が嫌がるような発言、著作者の許諾のない文章の投稿、公序良俗に反する投稿等を禁止させていただいております。禁止行為が確認された場合、予告なく削除、コミュニティ機能の利用制限、退会等の処理をさせていただくことがありますのであらかじめご了承ください。
コミュニティのご利用ガイドライン



















