昭和に千九百二十五を足して西暦にする、との計算式を「編み出した」のは中学の時分だったろうか。己がこの世に生を受けた昭和三十三年は1958年で、この西暦年を基に年月を「計る」癖が僕にはついてしまっている。終戦の昭和二十年は1945年で僕が生まれるたった十三年前だ。東京オリンピックは1964年で僕は六歳、1974年の長嶋引退は十六歳だから高校二年生は正しいなどと、自分の年表を整理することも出来る。先夜も、再放送された『映像の世紀』を、映し出される史実におなじような計算、確認を施しながら見ていた。
ジョン・レノンは1940年、十年後の1950年に仲井戸麗市が誕生している。1980年に逝ってしまったジョンの享年は四十歳で、その五年後の1985年に第一回競輪グランプリが立川競輪場でおこなわれ、現地の寒空の下、前売り車券を求める長蛇の列に僕が並んでいたことは幾度も喋ったし、書き記させてもらった。バイトと競輪でふらふらと生きていた男が、こうやって競輪に関係する仕事に就いている不思議さ・面映ゆさについても、だ。
あれから三十年。
三十一回目のグランプリだなんて、嘘みたいだ。
毒島の二着だけでよかったんだの賞金王、ゴールドはゴールドでもアクターのほうか・迷ったらデムーロなのさの有馬記念も終わり、やっと競輪グランプリ・モードだ。まだまだ「無整頓」の俺の脳内だが……。
※自力-自力の布陣はどうしたって番手から。
※と、言ったそばから「新田だけは別だろう」と内なる囁き。
※また二着、また二着、また二着、また二着の神山が悲願成就となればドラマだし、またまた二着も極上のドラマである。
※去年のグランプリも◎、今年のグランプリも◎。そんな「山崎黄金時代」だってあったじゃないの。ここでアッサリもまた競輪。
グランプリだけでも単勝を売ってくれないかなと毎年思うが、ないのだからしょうがない。
①平原から武田じゃない二着三着。
②山崎から新田じゃない二着三着。
③新田から山崎じゃない二着三着。
④神山一着・平原二着。
※単騎の2人の取捨は? 稲垣-村上もいるのかア。
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