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竹林記者さんの投稿コラム

私信「永倉はスターだったとEさんは言った」

2014/05/18 22:15

 俺がまだ〈黒競〉だから二十五六年前の話だ。京王閣の指定席は一部屋根もない百円、二百円、三百円と粗末な場所で、その奥が記者席だった。俺は永倉通夫-南雲茂義の車券を一本で取った。南雲はゴール後に落車したと思う。枠番で六-二か五-二だったと記憶するが自信はない。小躍りする俺の隣で先輩のEさんが笑っていた。帰りの京王多摩川駅近くの酒場でEさんは俺に言った。永倉は埼玉の高校野球じゃスターだった。奴が競輪選手になると聞いて俺は吃驚したンだ、と。
 黒競から青競に移って何年後かに記者と選手として永倉さんと出逢ったわけだが、初対面は憶えていない。年に一回ぐらいは一緒に飲んだのだろうか。そこらの記憶は凄く曖昧だが、俺がテレビ埼玉の〈バッハ・プラザ〉で永倉ラインの三連単一本と予想した翌日検車場で会うと、クビになっちゃうぜと笑った顔は忘れないでいる。永倉さんの四百勝を祝おうと言い出したのは誰だったのだろう。大宮のステーキ屋だったか、場所も屋号も忘れたが事件があった。俺は人前の携帯電話が嫌いで忙しい永倉さんが頻繁に話すものだから内心苛々していた。案の定、店員からヤンワリと忠告を受けるのだが、俺は反射的に蝶ネクタイの男に噛みついた。あの時の感情は今でもよく理解できないのだが、祝いの席だぞここは! テーブルは蹴飛ばすは大声を出すわ。店中が呆れていた。永倉さん、迷惑掛けました。その晩の二次会か三次会か、永倉門下のMとYが合流してあまりの礼儀正しさに俺は驚いた。その後暫くMとYを応援すべくあまりやらない心情車券に手を染めたりした。
 元選手が就く専門解説という〈場所〉に俺はけっこう懐疑的だったから、選手を辞めてからの永倉さんに俺は冷たかったかもしれない。永倉さんの仕事ぶりが他とは違うのは一、二回聞けば、読めばすぐわかった。だけど褒めようとしない。理由が永倉さんの周りに働く一部の人間に腹を立てているからでは狭量に過ぎる。俺はツマラン人間だった。
 西武園の記者席だったか。永倉さんが待遇の悪さと実力主義でない現状を嘆いた時、俺はきっとどこかで誰かがちゃんと見、聞きジャッジしてくれる筈だと偉そうに言ったが、本当は全部自分に言い聞かせていたのかもしれない。「別個の道を進み、同時に撃つ」の言葉が浮かんでは消えた。
 永倉さんに謝らねばならぬことがある。
立川の開催で選手を辞めた永倉さんが一、二週間後、西武園の俺のところに挨拶に来てくれた日、俺は労いの言葉の前に、最後の最後の一着の競走に下らん批判めいた言葉を投げた。永倉さんは笑って流してくれたが、俺はなぜ素直におめでとうと言えなかったのか、今でも情けない。
 永倉さん、どうもすいませんでした。
 追伸、黒競のEさんとは今でも半年に一回くらい会うのだが、酒が進むと必ずプロ野球、高校野球の話だ。そして絶対一回は出る、
永倉はスターだったと。      二〇一四年三月七日、竹林一彦

 永倉さんからの返事の一部がまだ俺の携帯電話に残っているのだが、それが見事に「永倉節」になっているのに笑ってしまう。

 永倉通夫、職業、競輪選手と競輪解説者。旅立った時、五十四歳だった。合掌。

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アオケイ編集長竹林記者。Gamboo生放送ではお馴染み、独自の競輪論は競輪ファンの心をくすぐる!(Gamboo編集部紹介)

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