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不死鳥への思い。

2018/10/22 12:37 閲覧数(1877)
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2010年3月2日

松戸日本選手権競輪の決勝戦
ワンツーを決めた村上兄弟を称える歓喜の輪の中に、その男は柔らかな微笑みを携え
確かに存在していました。

市田佳寿浩。

実はその日の夜、行われた祝勝会に何故か
同席させてもらいまして
偶然、隣の席が市田選手。

その時の会話は
今でも細部までしっかりと思い出すことができます。

何よりも忘れられない一言は

「今、みんなで戦って、そして近畿の選手が勝って、お祝いしている。こういう席に自分がいる、っていうことが何より嬉しいんですよね~」

度重なる怪我に手術。
ベッドの上で天井を見つめ続けながら
過ごした苦悶の日々。

今、この場にいるだけで嬉しい。
その思いの裏に、どれだけの葛藤があったのでしょう。

「毎日、ベッドの天井の模様を見てもね~。ほんと、これがいつも同じ!変わらないんですよ。」

やっぱり、その時も
微笑んでいました。

冗談交じりに話してくれた
そのエピソードが、逆にベッドの上での戦いがいかに壮絶なのか、教えてくれます。

選手はバンクの中だけで戦ってる訳ではなく、ベッドの上でも戦っているんだ。

動かない自分の体と向き合い、痛みに耐え、またバンクへ戻っていく。

その祝勝会から4か月後
彼はG1の頂点に立ちました。
あの時の感動は忘れられません。

しかし、更に勝ちたい、強くなりたい
そんな思いへの代償というのは
こんなに大きいのでしょうか?

その後、2012年に引退された
師匠で今、福井競輪の中継解説をされている野原哲也さんの引退セレモニー

市田選手は参加できませんでした。

確か、落車で折れた肋骨が肺に突き刺さって肺気胸で入院していたように覚えています。

参加はできませんでしたが
その日、ベッドから野原さんへビデオレターか届きました。

蚊の泣くような声で、野原さんへの思いを伝えようとする彼の姿に涙が出ました。

何度も何度も
そんなことを繰り返しながら
諦めることなくバンクへ戻ってきた市田選手。

何度も何度もバンクへ戻り
戻る度に落車。

何故、神はこの男に
こんなに過酷な試練を与えるのでしょう。

その後も股関節の大ケガ
A級に陥落。

ミッドナイト競輪で走る姿を
見れたのは良かったのか悪かったのか

何とも複雑な思いで実況をさせてもらったのは、ついこの間のことでした。

「福井はね~、街道練習にいくとトンネルが多いんです。トンネルは怖いですよ~。」

まさに、トンネルばかりの現役生活だったのかも知れません

でも、トンネルとトンネルの間で
強烈な光を浴びた
市田選手の勇姿は忘れません。

ありがとう。
そして、お疲れ様でした。






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コメント(2)

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どどん

今回のコラム良かったです、
何か言う事はないんですが書き残しておきたいので
橋本さんも頑張って下さい
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みっつ

ワッキーや野原師匠jrが魂を受け継ぐことでしょう
市田選手は、きっと不死鳥のごとく選手ではないところで蘇る!
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