以前、もし競輪最後の日が来るのなら川崎競輪場で迎えたいものだと記したことがあるが、それほどに俺にとって川崎は格別の競輪場なのだ。
四十年前の川崎競輪は第9レースに決勝、最終10レースは敗者戦で種別は「選抜」だったか「特選」だったか。二万人の客のはけをすこしでもよくするための苦肉の策だった。あれは川崎のヒラ競輪の最終だ。◎〇が上昇すると前受けの△鈴木等(山梨36期)が番手のインで粘り、◎△の一着二着で六百幾らの車券だったか。2センター附近の金網からドカしちゃえ!と怒声を発した俺は、声を出して観る競輪の快感をはじめて知ったのだった。S級に上がってまだ数場所の坂本勉と番手選手の長~い写真判定にドキドキしていたのも川崎だ。五回に四回は3コーナーの近くにあるカレー屋でカレーと味噌汁のセットを食べた。チープなインド風の看板の画が薄っすら浮かぶが、記憶は怪しい。停電が起きてけっこう待たされた挙げ句が最終レース中止で混乱した川崎競輪場にも居た。最終がはね駅まで歩く客が集中する歩道橋でスリの集団が堂々と連携するのを目撃したこともある。場内の赤電話から堀之内のトルコ(現在のソープランド)に予約を入れている男が何とも格好良かった。
川崎競輪場が大レースを自粛するようになったいきさつを知ったのは、阿佐田哲也氏のエッセイ『白鳥伸雄のこと』だったか。1965年の川崎オールスター競輪での「輝く事件」と表せば不謹慎のそしりを受けそうだが、小生七歳児の時代の競輪の隆盛が羨ましかった。
先日発表された2020年度の特別競輪開催日程に「第36回読売新聞社杯・全日本選抜競輪・川崎競輪場・2021年2月20日(土)から2月23日(火・祝)」を見つけた俺は、やっと川崎で念願のGⅠかァと呟いた。
もう随分前の話になるが、平競輪場に出張した帰りの特急列車で当時解説者として活躍されていた白鳥伸雄さんと偶然おなじ車両になった。始発駅の「いわき」を特急ひたちが動きだし、俺と俺の周りの記者仲間何人かが弁当を食べ始めた。施行者から土産にいただいた幕の内弁当と麦酒もあったか。ふと車両の最前列に座る白鳥さんを見ると、おなじ弁当を黙々と食べていたのを忘れないでいる。
阿佐田さんが『白鳥伸雄のこと』の文中で、競輪ファンの若者がシャツの胸のところに白鳥さんのサインをもらい、背中のほうに本人(阿佐田哲也)のサインをいれ喜んでいたことを、“私は、どんな賞の栄誉の時よりも、白鳥伸雄と並んでサインする身になったことで、ひどく出世したような気分になった。”と述懐している。
川崎競輪場のGⅠが観たかった――。
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