はじめて琵琶湖競輪場で「宮杯」を観たのは何年だろう。
俺が黒競から青競に転職したのが平成元年、1989年だから、その二三年後として91年か92年だ。以来十数回は訪れているのではないか。大津港にほど近いビジネスホテルが定宿で、目の前の浜大津駅から市電に乗ると京都市街まで小一時間ぐらいだったか。前検日の仕事は早仕舞いなので、よく京都観光に出かけた。もちろん当時でも修学旅行生やら外国人旅行者で混雑はしていたが、たとえば現在の清水寺の「混沌」とは瞭かに違っていたように想う。
浜大津は昔色街だったらしく種々の飲み屋が数多くあった。公園の四方を囲むように酒場が雑居するビルが林立し、そこから派生するようにいろいろな方向にぽつぽつと店店が並んでいた。線路ぎわにあったりえママ(宮沢りえの母親に似ていた)のうどん屋、よく大勢で騒ぎ食べ飲んだ中華飯店、数人が閉店ぎりぎりに突撃して「交渉」が長びいた湖畔近くで営業していた風俗店――。そのどれもの屋号を忘れてしまっているのが悔しい。
余談になるが、一生暗記しているものと疑わなかった大事な人の生年月日や名前が出てこない。台帳に記されているわけでもなく、どこかに手がかりがあろうかと病的なまでに「捜索」するも叶わない。過去が消えてしまった――そんな恐怖に似た感情を味わうことが最近は増えた。
比叡山の中腹から俯瞰で見た琵琶湖競輪場を憶えている。
JRの大津駅まで歩いて探した雀荘は全部個室で騒がしい麻雀の俺たちにはうってつけだった。
十番勝負と称してボーリングでもビリヤードでも何を遊ぶのにも小銭を賭けた。ビリヤードは山科まで行ったのだったか。初めてMKタクシーに乗車したのは山科からだった。運転手が脱帽してドアを開けてくれるのに面食らった俺だが、仲間の某は以来MKがお気に入りらしい。
毎年ではないにしても、頻繁に琵琶湖には出張をした。どの特別競走よりその数は多いはずだ。おなじ場所におなじ店があり安堵し、ある場所にそれがない寂しさも味わった。
琵琶湖でやらない宮杯なんて宮杯じゃァない――などと吐けば只の耄碌ジジイだが、俺はいったいあと幾度、宮杯に文句たれたり・宮杯を懐かしんだり・宮杯にアツくなったり出来るのだろう――。
灰色の空に灰色の雲、はっきりしない天気だ。
そして寒い――。
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