ブログ

一九八五年の競輪ダービーは六日間通った

2021/05/03 19:48 閲覧数(410)
このブログを違反通報します
違反通報のフォーム画面へ移動します。
 もう幾度も記しているので若干気が引けるが、日本選手権競輪、競輪ダービーと聞いて真っ先におもうのは一九八五年の清嶋彰一が優勝した立川ダービーで、次に忘れられないのがおなじ立川の大竹慎吾が二着失格した一九九三年のダービーである。先行一車の海田和裕から大竹一本で買っていたから、「審議の結果……」を聞いた瞬間、文字どおり崩れ落ちそうになった。レース後にラジオのアルバイト(『競輪フラッシュ』という番組で決勝の競走を振り返る役回りだった)が入っていたのだが、目の前真っ暗、頭真っ白の態で、きっと酷い出来だったことだろう。
 八五年は六日間通った。最終日は夜明け前から特別観覧席の入場券を求めて並んだ。寒い中に出来た長蛇の列を見かねて、午前七時ぐらいに施設が開放され助かったが、まぁ第一レースが始まるまでの長かったこと。八時ちょっと前あたりから、何器か並ぶ赤電話の周りが騒がしくなった。全部が全部ではないにせよ、勤め先への欠勤を願い出る電話が過半だったと記憶する。決勝は清嶋-山口健治-尾崎雅彦で逃げ、尾崎が一車喰って人気サイドだった。私は黒帽二番車の伊藤豊明からおもいっきり打って散った。時折テレビで解説している伊藤氏を見ると、あの日のことをフッと想い出したりする。
 過去に私は、この八五年立川皆勤賞について、それほどにあの時代のダービーは見たくってたまらない珠玉の競輪だったのだ。ふうな文章を記したことがあるが、なぁに今から考えるに、当時の私は二十七歳・無職・低収入(午前中だけの運送アルバイト)、とにかく暇で全日通っただけのことである。
 実は今回の京王閣ダービーは幾日か現場で見物する予定だった。入場者事前抽選に応募し首尾よく当選、「第75回 日本選手権競輪GⅠ 入場許可証 一般入場」のパスが届いていたのだが、現世のコロナ禍のせいで、使うこと、行くこと、叶わなくなった(別紙『第75回日本選手権競輪・イー新聞特設サイト』に私的ないきさつをば記しました。お暇な方はどうぞ)。
 明日(五月四日)から京王閣ダービーが開幕する。無観客の六日間だけど、あの世からEさん、Mさん、I女史、Tさん、K、A……、もちろん私の知らない無数の故競輪党員が大挙して空から観戦するのだから、栄えあるダービー戦士たちよ、い~いドラマ見させておくれ。

  • 読者になる

現在、コメントの投稿を受け付けていません。

TOPへ