昭和63年。
私は高校卒業後、大学も行けず、就職もせず、バブルの好景気の恩恵を最大限受けるぷーたろー(近年はフリーターと言うのか)として親のスネをかじっていた。
開催日を見て四日市競輪場と津競艇場を行き来し、レースのない深夜に四日市郵便局で郵便物の仕分けのバイトをして昼間の資金調達をしていた。
車券は前半が連複、後半は連単、まだ単勝も売っていたなぁ。
競輪で儲けて当時人気だったシーマを買う!とハタチそこそこの若造の野望はアホ極まりなかった。
たった一度だけ、父と四日市競輪場へ行ったことを思い出した。
父はドがつく本命党。
入れる額も半端ない。(そうか。私のアホはこの人からの遺伝だったのか)
父は穴目の私の車券を見ては、「そんな目はこぉへん。」「展開考えてんのかぁ」とこき下ろすのだが、レースが終われば「競輪は裏は買わなあかん」と反省する父の姿があった。
競輪場の帰り道。
何の用かは忘れてしまったが、オケラ親子は家の近所の町民スーパーに寄った。
二人の所持金は、私の財布に1つある500円玉だったのを鮮明に覚えてる。
父はその500円を私から奪い取り焼きそばUFOを2つ買って帰った。
家で風呂から上がった私に父は、「おい、このラーメンまずいぞ!」
???
そらまずいだろう。父は焼きそばUFOの湯を捨てずに食べていた。
私は、「湯ぅ捨ててからソーズ入れるんやで、潰しきかんやん」とおもっきり笑ってしまった。
そして私は父にたたみかける。
「よぉ見とき。」と一つ残っていた焼きそばUFOで作り方を実践。
湯を入れた3分後。
「こうやって湯切りす・・・」と言った瞬間・・・。
蓋が開いて麺が全て流し台に落ちてしまった。
父は私に「お前も潰しきかんなぁ」とおもっきり笑っていた。
もう30年以上前の話で、父が他界して17年。
なぜ急にこんなことを思い出したのかわからない。
ただ、四日市競輪場の当時のバック側の芝生席、財布の中の500円玉、焼きそばUFOでおもっきり笑った記憶が昨日のようだ。
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