細い棒のようなブレーキを掴むと、きっきーきぃー!
無骨堅牢なペダルを漕げば、ぎったん・ばったん。
週に二三回ほど校庭を走り回る乞食風体の男の愛車は、当時の郵便配達や新聞配達によく使われていた実用車で、その大きな荷台には常にアルマイト製のデカい弁当箱がゴム紐で括りつけられているものだから、小学生の僕たちは「お~い弁当持ち――!」とか「ほらァ弁当持ち――!」などと発しながら、怖々距離を詰めるだった。男の距離感は正確で、その「沸点」に達すると、奇声に近い意味不明な文句を撒きながら僕らを追いかけ回すのだ。「きたぁ~!」「逃げろぉ――!」散り散りになった僕たちはそのまま「解散」となるのだが、また日を改めておなじことが繰り返されることになる。
山松ゆうきちの漫画『淫者の声』の主人公は、「民よ聞け、私は神である――!」とローカル駅前の商店街で毎日演説を打ちつづける乞食の男性だ。最初はツマハジキものだった男だが、日々の敢行に感心するものがぽつりぽつりと増えはじめ、お布施がわりの弁当、洋服、小屋に衣食住が整い、ついには現金を差しだすものまで現れる。身なりの良い紳士から受け取った封筒の中の三十万円に男は驚く。翌日「神様」が初めて駅前からすがたを消した。場面は転換し某競輪場、枠番単式の「二-一」を勝負する男が克明に描かれる。そのまた翌日、駅前に戻った男がいつものように一席ぶっているが、日々の題目「人類の平和」とは異なるメッセージを放つのだった。競輪競馬はガンだ・即刻廃止せよと、やられた腹いせだろう、ボルテージはがんがん上がってゆく。
最近になってふと思うことがある。あの昭和四十年代前半に出くわした「弁当持ち」なる男は、競輪ファンだったのではないか。まるっきり理由はないが、薄れる記憶と反比例するように、本気でそう信ずるようになった俺だ。
四時間ちょっと前に喋らせてもらった「ギャンブー生放送」の番組中で晒した、拙い「予想」を再録、
〈静岡記念準決三番〉
※10R・⑨①⑤と⑨⑤①
※11R・①⑦⑥
※12R・①④⑨と①⑧②
です。
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